【11月15日 AFP】私は以前、経済記者だった。ネクタイを締め、ローファーを履いて小ぎれいな格好をした仲間の記者たちが、「為替レートは経済の基礎的条件を反映している」などといった普通のコメントをとるために、どう猛な獣の一群と化すさまを何度も見た。互いに押し合い蹴り合い、ときに噛みつかれるのではないかと思うことさえあった。

 ある年、東京で先進7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議が閉幕しようとしていたときだった。それまで静かだった会見場に嵐が吹き荒れようとはまったく予期していなかった日本の官僚が、声明文の束を無造作にビュッフェのテーブルの上に置いた。たくさんのコーヒーカップが宙を飛び、熱いポットがぶちまけられた。

 1人の人物を躍起になって取り囲み、写真を撮り、カメラを回し、レコーダーを突きつける記者団の姿は誰もが知っているだろう。記者「団」という呼び方は、ふさわしくないかもしれない。何故ならば、犬の群れにせよ、サッカーサポーターの一団にせよ、「集団」というものの中には共通の目標や協力関係があるからだ。ジャーナリストの一団にはそれがない。英米の記者たちはこの状態を「メディア・スクラム」と呼ぶが、この言葉も十分言い当てているとはいえない。ラグビーのスクラムとは違い、メディア・スクラムにルールはないからだ。

 AFP通信の映像部門、AFPTVのビデオジャーナリスト、クロエ・ショーブリ(Chloé Chauvris)はメディア・スクラムの怖さをよく知っている。

 今年、フランス南部ポー(Pau)で、安楽死に手を貸した医師が殺人罪に問われていた裁判を取材していたときのことだ。無罪判決を受けた医師が裁判所から出てくるのを、記者の一群が待ちわびていた。

「彼が警官に囲まれてついに姿を現したとき、現場は騒乱状態になった」と、クロエは振り返る。「私たちは全員カメラを回しながら後ろ向きに歩いていた。誰も転ばなかったのは奇跡的だった。そうこうしていたとき、私は左に強く押されたので、カメラがブレないようにと上半身を右に傾けた。背中がバキッと大きな音を立てたのは、そのときだ」。脊椎の骨5個がずれるという重傷を負った。

 この事故を機に、AFPはメディア・スクラムに巻き込まれる可能性が高い記者たちへのトレーニングを検討し始めた。プログラム内容は、暴動を取材する記者たちに行うトレーニングがベースとなる。