【10月18日 AFP】稲の苗がポチャンという優しい音を立てて、水田に植えられていく。香港が大都市へと変わっていく過程で、農業は何十年も前に消え去った伝統だが、食の安全をめぐる懸念から、農業回帰の動きが起こり始めている。

 香港北部、新界地区(New Territories)の湿地、ロングバレー(Long Valley、塱原)では、新しい波を起こしている農家たちが米を栽培している。ここでは飛び回る昆虫や群れをなす鳥たちが、遠くに見える高層ビルと鮮やかな対照をなしている。

 スーパーの管理責任者をしていたカン・ワイホンさん(42)は夜勤の仕事を辞め、稲作を始めた。カンさんは「香港でも昔は米を育てていたんだ。もう一度、人々に伝えて、稲作農業を復活させることだってできるかもしれない」と語る。

 自然農法の稲作は7年前、ロングバレーで40年ぶりに復活。鳥の生態系を保護する湿地帯保護プロジェクトの一環として始まったもので、香港にとって最大の食料供給元である中国本土との境界に近い地域で、5軒の農家が年3トン前後の米を作っている。

 香港の米の年間消費量は833トンで、これに比べればごくわずかな量だが、自然栽培米の需要増に伴い、売値は大量生産された輸入米の数倍に上る。

 中国では、上海(Shanghai)の食肉加工会社が賞味期限の切れた肉類をファストフードチェーンに納入していた事件や、同市を流れる黄浦江(Huangpu River)でブタの死骸が大量に発見された事件、「地溝油」と呼ばれる廃油の再利用や農薬の使用過多といった食品スキャンダルが相次いでおり、消費者は食品購入のあり方について見直しを迫られている。

 香港は食料のほぼ全てを輸入に依存し、地元産の野菜はわずか2%だ。それでも、90年代初頭には数軒の先駆者しかいなかった有機栽培の野菜農家は、数百軒に増えており、このうち130軒は完全な有機栽培を行う農家として認定されている。

 香港で作られる地元産野菜45トンのうち、有機野菜は現在12%程度。大量生産された野菜よりも値が張るが、消費者は気にしない様子だ。香港市内で週に1度行われる有機食品市場の一つを訪れた住民のジェニー・ホーさんは「色々な種類の農薬があり、さまざまな栽培法があるのを知った。有機栽培のものを選ぶほうがいいと思う。それに、香港産なら輸送に時間がかからないから、新鮮で美味しい」と話した。

 香港では1980年頃には、農地の40%が耕作放棄地になり、水田はそれまで利用されていた面積の1%未満にまで減少した。現在、積極的に耕作が行われている面積は、香港全体でわずか7平方キロ相当だ。

 農業補助金制度はないが、行政は農家に有機栽培への転向奨励や技術的な援助提供などを行っている。しかし不動産開発業者による需要も重なり、農地は多くの場合、短期リースの小区画地に限定される。

 農家のトーマス・フンさんは、香港の超高層ビルに住み、新界地区の農地に通う。計6人の地主から賃借している農地のリース期間は2~5年。「香港の人々は中国本土の野菜の品質を本当に恐れている。だから需要はとても大きい」という。(c)AFP