【10月30日 AFP】1980年代、フランスの社会学者ミシェル・マフェゾリ(Michel Maffesoli)氏は、現代社会に存在する、関心事やライフスタイルを共有して集まった小さなグループを「小集団(Urban tribes)」という言葉で類型化した──。著書「小集団の時代 ─大衆社会における個人主義の衰退(原題:Le temps des tribus)」は、1988年にフランスで出版され、英訳版は1996年に刊行されている。

■「小集団」の定義は何か?

 20世紀後半に登場した、さまざまな「選好」ごとに結びついた集合体や、1960年代後半に見られた各ムーブメントの若者の集団などがそれにあたる。

 集団内では、性的嗜好や宗教的な信条といった選好が共有される。例を挙げることは難しいが、大きな都市を訪れ、目を見開いて周囲の人々を眺めれば、そうした例はすぐに見つけだすことができるだろう。

■「小集団」という現象が、その時代に登場したのはなぜか?

 過去2000年の歴史を振り返れば、社会は3世紀半の周期で変化を遂げてきたことが分かる。一つの周期が終わるころには、既存の社会のモデルが機械のように消耗する。例を上げると、中世はルネサンスに道を譲り、ルネサンスは近代に取って代わられた(歴史学者らは、17世紀に近代が始まったと考えている)。この変化を私たちは「危機」と呼ぶ。今日では誰もが、「危機」というものを経済的な次元に矮小(わいしょう)化してとらえているが、「危機」とは実際のところ、社会観に対する我々の考え方、我々の頭のなかに存在するものである。

 米国の社会学者ピトリム・ソローキン(Pitirim Sorokin)氏は、この現象を「飽和」という言葉で表現した。コップの中の水に塩や砂糖を加えて溶かせる限りは、水は飽和していないという点に類似性を見いだせるからだ。

■小集団を「ポスト・モダン」の現象と呼ぶのはなぜか

近代は、17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルト(Rene Descartes)が、「我思う、故に我あり」の命題の下、自分が自身の支配者であるとする「個人」の概念の発見とともに始まった。近代は18世紀に我々の思考法を形作り、19世紀には社会システムを形成したが、20世紀の半ばにその力を失うことになった。

 我々がポスト・モダンと呼ぶものが始まるのがまさにこの時代であり、「小集団主義(Tribalism)」という言葉が適用されるのもこの時代である。つまり、社会はもはや統合されたものではなく、選好ごとに結びついたコミュニティーがモザイク状に集まったものでしかない。

■「小集団」という言葉に用いられている「Tribe」という単語は、未来よりも過去を想起させるが?

 1988年当時に「Tribe」という言葉を使っていたとしたら、すでに時代遅れとみなされていたものへの回帰を表現するものとみなされただろう。だが今日では、高層ビルが林立している大都市の中で、グループを形成する必要性が生じている。

 ポスト・モダンにおける「Tribe」では、「古風」なものと最新のテクノロジーとが相乗効果を生み出している。事実、インターネット上でやりとりされる情報の約70%は、「コミュニティー」について──恋愛的、哲学、宗教など──のものだとされている。

 また、ポスト・モダンは、対立するものを関連づけるという特徴を持っている。人生を謳歌したいという欲望、一方ではスピリチュアルでありたいとしたニューエイジ(New Age)運動の出現が示すような特徴だ。

■この現象はどのように発展していくのだろうか?

 私たちは、公の社会では認知されていないような共生を創り上げている途上にある。これまで標準的だった規範が失われ、新たな基準が生み出されていくなか、現時点ではルールとされていないことが未来ではルールとなるだろう。

 1960年代には、ごく小さな存在でしかなかった音楽や文化、性に関するコミュニティーが、今日の価値基準となっている──これが「人類の法則」だと信じている。(c)AFP/Franck IOVENE