【7月14日 AFP】「サッカー熱狂国」を自負する国は多いが、ドイツにとってサッカー代表チームは、苦難の歴史を抱えた国民の誇りを取り戻す救世主としての独特の意味を持っている。

 強い愛国心の表明が今なお批判を浴びる社会において、サッカーだけが唯一の例外だ。サッカーW杯ブラジル大会(2014 World Cup)では国じゅうがはためく国旗の海にのみ込まれ、国民8000万人の半数近くが決勝戦をテレビ観戦した。

「現在の代表チームは、ドイツ国民がイメージできる最高のドイツ人を体現している」とドイツ日刊紙ウェルト(Die Welt)の解説記事は称賛する。「成功し、チャーミングで、闘争心に満ちつつも思いやりがあり、慎み深く、クールだ」

■代表チームの活躍で「解放」されたドイツ人

 ドイツ国民の精神に対してサッカーが果たす役割を、最も明確に示した言葉がある。1954年W杯スイス大会で、西ドイツが優勢とみられていたハンガリーを3-2で破り優勝した時、ゼップ・ヘルベルガー(Sepp Herberger)監督(当時)がこぼした「われわれは再び、何者かになれたのだ」との発言だ。

 第2次世界大戦(World War II)とホロコースト(ユダヤ人大虐殺)により物理的にも精神的にも崩壊したドイツにとって、9年後のW杯での思いがけない優勝は、現代ドイツが真に誕生した瞬間ともみなされている。「ベルンの奇跡」の英雄たちのおかげで、打ちのめされ貧しさにあえぐドイツ人たちは戦後初めて、胸を張ることができたのだ。

 独シュツットガルト大学(Stuttgart University)の歴史学者、ウォルフラム・ピタ(Wolfram Pyta)氏は、著作の中で「西ドイツでは1954年以後、サッカーが象徴的な意味合いを持つようになり、若き西ドイツ国家と国民にとっての共通のアイデンティティーとなった」と記している。

 ゲアハルト・シュレーダー(Gerhard Schroeder)前独首相も、次のように回顧する。「私がドイツ人だと初めて実感したのは、1954年、10歳でビストロに座ってドイツが優勝する瞬間を見たときだ」「戦後、ドイツ人の良心に重くのしかかっていたものから、国民が解放されたようだった」