【5月25日 AFP】英中部レスター(Leicester)で見つかった15世紀のイングランド王、リチャード3世(Richard III)の遺骨をどこに再埋葬するかをめぐって発掘者とリチャード3世の子孫らが争っていた裁判で、高等法院は23日、発掘者が求めたレスター大聖堂(Leicester Cathedral)への埋葬を命じる判決を言い渡した。判決は、遺骨が発見されたレスターへの再埋葬を禁じる理由はないと明言し、「リチャード3世を尊厳ある方法で再埋葬する時期だ」と述べた。

 レスター大聖堂でレスター教区のティム・スティーブンズ(Tim Stevens)主教が判決内容を伝えると、人々は拍手でこれを歓迎した。同聖堂への再埋葬にあたって英当局は盛大な記念式典を計画しているものの、具体的日程は今のところ不明。

 英劇作家ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)の戯曲の悪役として知られるリチャード3世は、1485年8月のボズワースの戦い(Battle of Bosworth)で死亡。埋葬場所は500年近く謎とされていたが、2012年9月にレスター市の駐車場建設現場で遺骨が発見された。

 考古学者らが骨をDNA鑑定したところ、リチャード3世の姉妹の子孫とDNAが一致。戦闘で負った傷や背骨の曲がった特徴も確認されたことから、遺骨がリチャード3世のものであると断定した。考古学者チームはレスター大聖堂への再埋葬計画を策定し、英政府と地元当局もこれを承認した。

 ただリチャード3世の子孫らは、故人の権力基盤だった北部ヨーク(York)のヨーク大聖堂(York Minster)への埋葬を要求。実質的にリチャード3世の支持者団体である「プランタジネット連合(Plantagenet Alliance)」は、ヨークへの埋葬が中世イングランド最後の王だった故人の希望だと主張した。リチャード3世はヨークで育ち、城塞の一部の資金を提供したとされる。

 ヨークとレスターの対立は英政府閣僚にまで波及。昨年には憎悪に満ちたメールを送り付けられたとしてヨーク大聖堂の幹部が警察に通報するなど、対立が激しさを増していた。(c)AFP/Danny KEMP