【1月21日 AFP】(一部更新)より幅広い層の人々に音楽の世界の扉を開き、その優しげな物腰からオーケストラの団員らに愛され続けたイタリア人指揮者クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)氏(80)が20日、死去した。アバド氏は、ミラノ(Milan)のスカラ座(La Scala)、ウィーン国立歌劇場(Vienna State Opera)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berlin Philharmonic)などでの輝かしい実績を残した。

 アバド氏は胃がんを患ったものの2000年に一時回復している。しかし、ここ数か月で病状が極度に悪化し、最近は仕事をキャンセルしていた。

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、「(アバド氏の)音楽を愛する心と飽くことのない好奇心は、私たちにとってのインスピレーションの源でした」と述べ哀悼の意を表した。

 アバド氏は1933年6月26日、ミラノの音楽一家に生まれた。地元で学んだ後、1957年からはウィーンでハンス・スワロフスキー(Hans Swarowsky)氏に師事した。以来、アバド氏とウィーンとの密接な関係は長年にわたり続いた。

 偉大な音楽家は1960年、スカラ座でそのキャリアをスタートさせた。同劇場で1965年に上演されたジャコモ・マンゾーニ(Giacomo Manzoni)氏のオペラ「Atomtod」では、アバド氏の指揮が多方面から絶賛された。

 1971年からはウィーン国立歌劇場で定期的に指揮者を務め、1979~1988年の間はロンドン交響楽団(London Symphony Orchestra)を指揮した。

 1986~1991年はウィーン国立歌劇場で音楽監督を務め、1989年には死去したヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)の後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に選ばれた。(c)AFP/Dario THUBURN