【9月8日 AFP】シリアの首都ダマスカス(Damascus)が迎えている新しい「客」、それは故郷の街から逃れてきた国内避難民の家族だ。ぼろぼろになったホテルに残った小さな空間に身を寄せ合い、調理は浴室でしている。

 2011年3月、バッシャール・アサド(Bashar al-Assad)政権に対する反体制派の蜂起から始まった衝突は、本格的な内戦へと発展していった。これまでに200万人以上が国外へ脱出、425万人が国内避難民となり、国連難民高等弁務官事務所(UN High Commissioner for RefugeesUNHCR)は3日、事態を「恥ずべき人道的大惨事」と称した。

 ダマスカス市内で労働者階級が多いマルジェ(Marjeh)地区に構える質素なホテルで、ハナさんはシリア第3の都市ホムス(Homs)の旧市街にあった伝統的な、玄武岩造りのわが家を思い出す。「小さな中庭があって、たくさんの窓からは道が見下ろせた。でも、すべて破壊されてしまったと聞きました」

 ハナさんの夫は、戦闘が始まったばかりのころに何者かに誘拐され、殺された。30代で夫を失ったハナさんは息子2人と娘1人を連れ、この2年の間にホテルからホテルへ3回、移り住んだ。現在はベッド4つとテレビ1台がひしめく部屋に暮らして7か月となる。部屋の片隅にあるスーツケースは、ホムスをのみ込んだ猛攻撃から逃れる際に持って出ることのできた唯一の財産だ。「一日中、テレビを見ているか、料理をしています。うちのキッチンを見ますか?」といってハナさんが指さしたのは、トイレの横に置かれた錆びついたストーブだった。他の部屋に行くと、壁紙は湿気ででこぼこにしわが寄り、ネオン管の照明は絶えず点いたり消えたりを繰り返し、エアコンからは水滴がにじみ出ていた。

 以前、このホテルはダマスカス郊外のサイーダ・ゼイナブ(Sayyida Zeinab)にあるシーア派の寺院を訪れるイラン人の巡礼者でいつも満員だった。しかし今はホムスやダマスカス市内から逃れてきた避難民たちが、全40室の客室の半分を占めているという。

 ハナさんの夫はホムスでタクシー運転手をしていた。「稼ぎは良かったから、何も欲しいと思ったことなどなかった」という。しかし今はすっかり一文無しだ。ホテルの部屋代も3か月滞納している。かたわらで16歳の息子が、近くのカフェの水パイプで使う炭を準備していた。「これで時々、500シリアポンド(約200円)ほどのチップを稼いでくれるんです。家族が生き延びる足しになります。自分の今の状況を考えると、頭が爆発しそう。まるで物乞いのようです」とハナさんは語る。

 避難民の子どもたちは階段の手すりを滑り降り、ホテルのロビーはすっかり遊び場と化している。この地区にあるホテルまでやって来る観光客は滅多にいなくなった。アラブ人のビジネスマンがわずかにいるだけだ。ホテル側も宿泊料を下げているが、避難民は無料で泊まらせているという話も聞く。とはいっても、ホテルも儲けを出し、コストを賄わなければならない。燃料費が高騰しているため、このホテルでは月々2万5000シリアポンドだった宿泊料を3万シリアポンドに値上げした。

 しかし国内避難民の多くは、こうしたぎりぎりの暮らしのほうが、難民になるよりもましだという。「少なくとも、自分の国にいるのだから」とハナさんは述べた。(c)AFP/Rana MOUSSAOUI