【8月27日 AFP】1980年代のイラン・イラク戦争中、イラクが化学兵器で報復する可能性を認識していながら、米政府は同国に対してイランの攻撃に備えるよう情報を提供していたことが、機密解除された米中央情報局(CIA)の文書などによって26日、明らかになった。

 現在、内戦状態にあるシリアでは、首都ダマスカス(Damascus)周辺で前週に政権軍が化学兵器を使用した疑いがあり、米政府は軍事介入を検討している。そうした中、26日の米外交専門誌フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)は、CIAの機密解除文書や元職員のインタビューなどを引用し、過去の記録を再考している。

 同誌によれば、当時の米国政府は、イラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)大統領(当時)が、イラン軍に対してサリンガスやマスタードガスを使う可能性を認識していたとされる。83年11月のCIAの機密文書には、イラク軍が攻勢を強めて化学兵器を使えば、イラン側がその証拠を国連(UN)に提出し、米国はイラクと共謀した国際法違反を非難されるだろうと警告している。

 また87年末には、イラク南部の港湾都市バスラ(Basra)東方の国境沿いにイラン軍が大結集している様子を米国の衛星画像が捉えていた。これはイラク側の防衛の戦略的弱点をイラン軍が把握していることを示す映像だった。米政府はこの情報をイラク側に伝え、イラン軍の兵站基地に関するイラク側の情報収集と対空防衛の支援を決定したという。衛星画像について分析した報告書「バスラへのゲート」を見せられたロナルド・レーガン(Ronald Reagan)米大統領(当時)は、報告書の余白に「イランの勝利は受け入れがたい」と書き込んだとされている。

 1988年4月、バスラのあるファウ半島でイラク軍は化学兵器の使用を含めた攻撃をイラン軍に仕掛けた。CIAによると、化学兵器は4回にわたって使用され、毎回数百から数千のイラン軍兵士が殺害された。

 当時、在イラク米大使館付武官としてバグダッド(Baghdad)に駐在していたリック・フランコーナ(Rick Francona)元空軍大佐は、「神経ガスを使用する意図をイラクがわれわれに告げることはなかった。(しかし、)われわれはすでに知っていたから、その必要もなかった」と当時を振り返った。

 88年3月、フセイン政権は自国北部のクルド人自治区ハラブジャ(Halabja)に対しても化学兵器を使用し、住民5000人を殺害している。(c)AFP