【8月27日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世が生まれた村がある地域で大規模な再開発事業が進められている。その一環として1959年にインドに亡命したダライ・ラマ14世の生家が先ごろ改修された。

 ダライ・ラマ14世の生家は、チベットではタクツェル(Taktser)村と呼ばれる中国西部・青海(Qinghai)省紅崖(Hongai)村のそびえ立つ山の頂にある。中国政府が「暴力的な分離主義者、法衣をまとった狼」と呼ぶダライ・ラマにゆかりのある中国国内で唯一の場所だ。この家は1960~70年代の文化大革命で紅衛兵によって破壊されたが、1980年代に再建された。

 250万元(約4000万円)かけて行われた改修により生家は今や、チベットに対する中国の厳しい敵対政策の象徴となっている。中国がチベットで進める住宅開発・移転計画の規模とスピードには国際人権団体も懸念を示しており、チベットの詩人で活動家のツェリン・オーセル(Tsering Woeser)氏はAFPに対し、「これは近代化ではなく中国化だ」と語っている。

■原形をとどめない改修

 70世帯ほどが暮らしているタクツェル村は何世紀も前からチベット文化圏に属するが、青海省と隣接するチベット自治区との境界からは数百キロも離れた場所にある。ダライ・ラマ14世の生家は1960~70年代の文化大革命で紅衛兵によって破壊された後、1980年代に再建された。現在はダライ・ラマ14世のおいで、隣に住んでいるというゴンポ・タシ(Gonpo Tashi)さんが管理している。

 改修後の生家に立ち入ることを許された唯一のメディアだという中国国営の新華社(Xinhua)通信は、地面は新しく舗装され、はりは補強され、壁は塗り直されたが、生家は原形をとどめていると報じた。しかし中国在住歴が長くダライ・ラマ14世の生家を訪れたことがある数少ない外国人の1人でもあるカナダ人の作家、ルディ・コン(Rudy Kong)さんは、AFPから改修後の写真を見せられると、母屋は2000年に自分が訪れた時とは全く違っており、ほとんど建て替えたようだと感想を述べた。

 1930年代、ラモ・ドンドゥップ(Lhamo Dhondup)という名前の幼児がダライ・ラマの生まれ変わりとして僧侶の一団に見いだされた。その幼児の生家である簡素な農家が、そうとは認識できない建物に建て替えられたことは、チベットの人たちにとって伝統の喪失を意味する。しかし、15億元(約240億円)をかけたこの地域の再生計画の一環として改修費用を拠出した当局は、「生家を訪れる人たちへの善意を示すもの」だとしている。(c)AFP/Neil CONNOR