【8月12日 AFP】文化大革命によって過激化した10代の少年だったころ、指導部に批判的だった自分の母親について当局に密告したことで、2か月後に母親が銃殺刑に処された──張紅兵(Zhang Hongbing)さん(59)の「告白」が、中国国内で注目を集めている。

 40年以上にわたって罪の意識にさいなまれてきた張さんは自らの過去を世間に公表することで、中国の混乱の時代を覆い隠してきた沈黙に波を立てた。このような形での「謝罪」はこれまであまり見られなかったが、癒やしをもたらしうる集団的な自己省察に通じるとして歓迎されている。

 張氏は前週、「あのころは皆がのみ込まれていて、たとえ逃げたくても不可能だった。私の中にあった優しさとか美しさといったものは徹底的に、取り返しがつかないほど『設定されて』しまっていた」と北京新聞(Beijing News)に語った。「私の自己反省によって、当時どんな状況だったのかを人々が理解できるよう願っている」

 1966年~76年にかけて起こった文化大革命は、50年代後半の「大躍進政策(Great Leap Forward)」で大飢餓が生じ、無数の個人の悲劇と社会的混乱を生み出したことで国家主席の座を追われた毛沢東(Mao Zedong)氏が、失墜した権威の回復を狙い推し進めたものだ。「紅衛兵」の若者たちは年長の者を虐げ、役人から知識人、隣人、親戚までをも「批判闘争」に引きずり出した。批判の対象となった人々のなかには自殺に追いやられる者もいたが、その多くは殺害されるか投獄・幽閉されるかした。公式な数字が発表されたことはないが、欧米のある歴史家は1967年の1年間だけで50万人が死亡したと推計している。

■「自分を許せない」

 張氏は1970年に自分の母親が毛主席を批判したことを通報した。軍の当局者らが家にやって来て母に暴行を加え、連れ去った。しかし文化大革命が終わって数年後、政治の風向きが変わり、地元安徽(Anhui)省の裁判所は、張氏の母の有罪を取り消した。ただ張氏は自分のことを「決して許せない」という。

 かつて陶然としていた紅衛兵たちの告白はこれまでにわずかしかない。またそのほとんどは、当時10代だった青年らが高齢に差しかかり、ようやくその重い口を開いて明らかになったものばかりだ。過去の過ちが公になることで、裁判となるケースが出てくる可能性もあるが、文革に関する専門家で香港科技大学(Hong Kong University of Science and Technology)の丁学良(Ding Xueliang)氏は、中国人の多くはそうした元紅衛兵たちによる公の謝罪を受け止めていると語る。

 最近では4月に浙江(Zhejiang)省の裁判所が、1967年に起きた殺人で80歳の男性に禁固42月を言い渡した。それでも丁氏は「前向きな結果が否定的な結果を上回るだろう。集団的な内省にとっても、さらなる法治社会を築くためにも」と述べている。

■指導部の目

 しかしそうしたプロセスの中で、自らが果たした醜い役割について問われることが不可避となると思われる一党独裁の中国共産党は、そのような議論を禁じている。いかなる裁判や謝罪でも核心的問題が回避される傾向があると学者たちは批判している。

 中国社会科学院(Chinese Academy of Social SciencesCASS)の徐友漁(Xu Youyu)氏は、「個人の責任もその一部だ。例えば、人を殴ったり辱めたり、迫害してはならないといった基本的なこともこれには含まれる」と語る。しかしその一方で、「(元紅衛兵たちの)告白はもっと重要な、あるいはもっと根本的な問題に触れていない」としながら、もし「核心」に触れるようなことがあれば、「元紅衛兵たちの告白が続けられるかといった問題にも発展しかねない」と指摘した。

 6月に発表した謝罪の中で、山東(Shandong)省東部のリウ・ボキン(Liu Boqin)さんは自らの過去について詳しく述べ、被害者となった人々の名前を挙げた。ただ自分をそうした行動へと駆り立てた「政治的な指令」については曖昧に触れただけで、「若さと無知、扇動され、邪悪に走り、物事の善悪の区別がつかなかった」ために、自分の教師たちを追跡し、家を荒らしたと述べるにとどまった。「文化大革命の環境にのみ込まれていたというのが一つの理由だが、個人として、私は自分の悪行に責任を負う」とリウさんは語っている。(c)AFP/Carol HUANG