【12月28日 AFP】(一部更新、写真追加)イラクの独裁者サダム・フセイン(Saddam Hussein)元大統領の侵攻を受けたクウェートを解放した1991年の湾岸戦争「砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)」を指揮したノーマン・シュワルツコフ(Norman Schwarzkopf)退役米陸軍大将が、米フロリダ(Florida)州タンパ(Tampa)で死去した。78歳だった。米当局者が27日発表した。

「嵐のノーマン(Stormin Norman)」として有名なシュワルツコフ氏は、米中央軍(US Central Command)司令官を最後に引退し、タンパで暮らしていた。

 湾岸戦争当時の米大統領で、シュワルツコフ氏を戦争遂行の責任者に任命したジョージ・H・W・ブッシュ(George H.W. Bush)元大統領は誰よりも早くシュワルツコフ氏の死を悼むコメントを発表した。

「私にとってノーマン・シュワルツコフ大将は、われわれにとって最も困難な国際的危機の中にあったわが国で見られ、われわれの自由を守った『義務、献身、国家』という信条を体現した人物だった」、「それだけでなく彼は立派な人物で、親愛なる友人だった。(妻の)バーバラ(Barbara)と私は奥様のブレンダ(Brenda)さんと彼の素晴らしい家族の皆様に心からのお悔やみを申し上げます」

■勇敢なエリート軍人

 シュワルツコフ氏は1934年、ニュージャージー(New Jersey)州トレントン(Trenton)生まれ。12歳の時、父親とともにイランに行き、テヘラン(Tehran)、ジュネーブ(Geneva)、フランクフルト(Frankfurt)で教育を受けた後、米ニューヨーク(New York)州ウエストポイント(West Point)の陸軍士官学校(United States Military Academy)で機械工学を専攻した。南カリフォルニア大学(University of Southern California)と米陸軍大学(US Army War College)でも学んだ。

 陸軍士官学校卒業後に少尉に任官され、その後は順調に昇進した。2度目にベトナム戦争(Vietnam War)に派遣された1970年には、同じ大隊の仲間が取り残されたバタンガン半島(Batangan Peninsula)の地雷原にヘリコプターで駆け付け、地雷原をはい進んで重傷者の脚に添え木を当てるとともに、シェービングクリームで地雷に印を付けるよう命じて生存者を率いて安全な場所に移動させたことでその勇名はいっそう高まった。

 1990 年にフセイン大統領の軍勢はクウェートに攻め込み、サウジアラビアに侵攻する構えも見せた。そうなればフセイン大統領は世界の石油埋蔵量の40%以上を手にする可能性があった。シュワルツコフ氏は約42万5000人の米軍と11万8000人の連合国の軍人からなる多国籍軍を指揮し、クウェートからイラク軍を排除した。

 また無愛想で人に厳しく当たることは伝説的で、湾岸戦争時にタブロイド紙が見出しに使った「嵐のノーマン」というあだ名が広まった。(c)AFP