【10月17日 AFP】オランダ・ハーグ(Hague)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former YugoslaviaICTY)で16日、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)中の残虐行為で人道に対する罪などに問われている当時のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic)被告(67)の公判が開かれた。カラジッチ被告は、自分が紛争を回避しようと全力を尽くしたことは評価されるべきであり、また、ジェノサイド(大量虐殺)が起きるなど誰も想像していなかったと主張した。

 カラジッチ被告は、1991年の旧ユーゴスラビア連邦崩壊後にボスニアのイスラム教徒やクロアチア系住民ら10万人以上が死亡し、数百万人が避難を余儀なくされた民族浄化や、92年5月~95年11月の間に1万人が死亡した「サラエボ(Sarajevo)包囲」などの首謀者の1人として罪に問われており、有罪になれば終身刑が言い渡される可能性がある。中でも1995年7月、ラトコ・ムラディッチ(Ratko Mladic)被告が率いるボスニアのセルビア人部隊によって、イスラム教徒の成人男性と少年8000人近くが殺害された「スレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺」は、第2次世界大戦(World War II)後の欧州で最悪の大虐殺とされている。

 しかし、カラジッチ被告はこの日「私は、私の行った全ての善行で表彰されてしかるべきだった。なぜならば私は、紛争を阻止し、人びとの苦しみを減らすため、人間の力で可能な範囲で全力を尽くしたからだ」と抗弁した。また「私のみならず私の知る誰もが、セルビア人以外へのジェノサイドが起きるとは思っていなかった」とも述べた。

■穏やかなイメージを打ち出し自らを弁護

 黒いスーツに薄い青色のシャツ、ストライプの青のネクタイをしめてリラックスした様子のカラジッチ被告は、眼鏡をずらして鼻にかけ、時折笑顔を浮かべ、まるで裁判所で授業をしている教師のようなイメージを作り出していた。だが、カラジッチ被告の発言は、虐殺の生存者や犠牲者の遺族たちが座る満員の傍聴席から疑いの声や冷笑を浴びせられた。

「私は穏やかで寛容な男だ。他人を理解する大きな許容力を持っている」と内戦前は詩人で精神科医だったカラジッチ被告は語った。また「イスラム教徒にも、クロアチア人にも、何の反感も持っていない」と述べ、内戦前の自分の理容師はイスラム教徒だったとも付け加えた。

 さらに1991年の旧ユーゴ崩壊以後、ボスニアのイスラム教徒とクロアチア系住民が武装を始め、セルビア系住民は自分たちに対するジェノサイドが計画されていると信じるようになったのだと主張した。「誰もが言っていた。われわれは袋小路に追い込まれた」

 カラジッチ被告は13年間の逃亡生活の末、2008年にセルビアの首都ベオグラード(Belgrade)のバスの中で逮捕され、2009年10月から裁判が行われている。

 また16日は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で裁判が行われる161人の戦争犯罪容疑者の最後の1人、クロアチア紛争中(1991~95年)のセルビア人勢力の指導者ゴラン・ハジッチ(Goran Hadzic)被告の裁判が始まり、同法廷にとって歴史的な1日になった。(c)AFP/Jan Hennop