【10月9日 AFP】ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)から500キロ、標高4000メートルにあるヒマラヤ山麓の秘境、アッパードルパ(Upper Dolpa)の村シメン(Simen)。最も近い町でさえ徒歩で5日かかる。

 14年前、タシ・サングモさん(31)は17歳で、この人里離れた村の14歳の少年、ミングマル・ラマさんのもとに嫁いできた。その時からサングモさんは、当時11歳だったラマさんの弟パサンさんも将来、自分の夫になることを承知していた。サングモさんは現在、ラマさんとパサンさん(25)の2人の夫と共に3人の息子を育てている。

■過酷な土地での家系維持

 かつてアッパードルパ周辺では、ほとんどの家で兄弟が同じ1人の女性を妻としていた。しかし近代的な生活が入り込むにつれて一妻多夫制は消失していき、今も残っているのは地理的に孤立したヒマラヤ山麓の村々だけだ。

 チベット語の方言を話すサングモさんは「一つの家庭に何もかもが残るので、このほうが簡単です。何人もの妻の間で何かを分ける必要もないし、お金を管理する役は私。兄弟2人が稼いできて、その使い道は私が決めます」と語る。

 2人の夫のうち、弟のパサンさんもうなづく。「この関係を兄と分かち合いたいと思ったんだ。僕たち両方にとって、このほうが暮らしが楽だからね」

 樹木限界線も越えている高地のアッパードルパでは、耕作は乏しく、牧畜もごく小規模にしか行われていない。古くからこの地の生活を支えているのは、ここをルートとしているキャラバン(隊商)だ。アッパードルパの人びとは今もヤクのキャラバンを率い、南はインド国境に接するテライ(Terai)平原からの米を、北はチベットからの塩を交易している。

 こうした環境の中、一妻多夫制は家族が何世代にも渡って財産の分割を免れ、必要量ぎりぎりの食料で何とかやりくりしていく手段だったのだ。

 アッパードルパの一妻多夫制は通常、見合いが基本だ。兄弟のうち、まず長男のための妻が選ばれ、その後で弟たちにも、この妻の夫となる機会が与えられる。場合によっては、妻たちが男子を育て、その男子が成人となった頃に性的関係を結んで夫の1人とすることもある。

■夫の間に「嫉妬心はない」

 ネパールの多数派であるヒンズー教徒の男性は、概して保守的だ。これとは異なり、一妻多夫制の夫たちは、料理や子育てなど家事にいそしむ。そして家計を握っているのは女性たちだ。

 一妻多夫制は時に産児制限の役も果たす。夫が何人いようと、1人の妻が妊娠できる回数には限りがあるからだ。各家庭でも通常は、生物学的な父親が誰であるかは気にされない。子どもは自分の父親も、おじもすべて「お父さん」と呼ぶ。

 一妻多夫制は西欧的な性的タブーを破るもので、外部の人々には魅力的に映ることもある。だが、地元の人びとは生活に有益なものと、いたって自然に受け止めている。

 別のアッパードルパの女性、シタール・ドルジェさん(30)が夫のカルマさんと結婚したのは10年前。その数年後には、カルマさんの弟ペマさんも夫婦関係に「加わった」。ペマさんはこう語る。「僕の場合、嫉妬心はありません。家で妻が兄と過ごしていても、何も嫌な気はしません。嫉妬するくらいだったら、この家を出て他の誰かと結婚しますよ」

 さらに一妻多夫制は、兄弟間での労働の分担も円滑にする。夫の1人が家畜の世話をすれば、もう一方の夫が妻の畑仕事を手伝い、別の1人はキャラバンで交易の旅に出るといった具合だ。

 また女性にとっては、夫が死んでも生活が揺るがない「保険」の意味があると考える人も多い。アッパードルパとのつながりが深いオランダの慈善団体SNVによれば、村の人びとの寿命は、男性がわずか48歳、女性が46歳だという。

■ヒマラヤの秘境にも現代社会の波

 つい最近まで外部から切り離されていたアッパードルパでは、多くの土地では絶えてしまった生活様式が保たれてきた。しかし観光の増加によって、かつては無視されていたこの地にも注目が集まり始めている。かつて祈りの旗がはためいていた石造りの家の屋根にも、今は衛星アンテナが立ち始め、村の夫婦たちは自分たちとはまったく異なる現代世界の男女関係を、テレビで目にするようになった。

 SNVによれば、1世代前には村の世帯の80%を占めていた一妻多夫制は、今や5世帯に1世帯に減っており、次の2世代で滅びそうだという。(c)AFP/Frankie Taggart