【8月22日 AFP】エチオピアのメレス・ゼナウィ(Meles Zenawi)首相が20日夜、ベルギー・ブリュッセル(Brussels)の病院で死去した。57歳だった。

 エチオピア政府の報道官によると、メレス首相は前年から闘病生活を送っていた。順調に回復しつつあったが容体が急変して集中治療室(ICU)に運ばれ、20日深夜、午前0時ごろ死去したという。

 メレス首相は今年6月にメキシコで開かれた主要20か国・地域(G20)首脳会議への出席を最後に、公の場に姿を現していなかった。

 遺体は21日夜、エチオピアの首都アディスアベバ(Addis Ababa)に到着した。2010年から外相も兼任しているハイレマリアム・デザレン(Hailemariam Desalegn)副首相(47)が暫定首相に就任する。

■「アフリカの角」に権力の空白

 反政府勢力エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)の書記長だったメレス氏は1991年に当時のメンギスツ・ハイレ・マリアム(Mengistu Haile Mariam)大統領の独裁政権を倒して権力の座につくと、エチオピアを急速な成長軌道に乗せるとともに地域紛争の調停でも大きな役割を果たした。約20年にわたってエチオピアを強権的に支配し、野党弾圧や人権抑圧で批判も受けた。

 メレス氏の死は「アフリカの角(Horn of Africa)」と呼ばれるアフリカ大陸北東部に権力の空白を残した。

 エチオピア国内には、南東部のソマリ人居住地域の自治権拡大を求めるオガデン民族解放戦線(Ogaden National Liberation FrontONLF)をはじめとして幾つかの脅威が存在する。ONLFはメレス氏の死を「新たな安定と平和の時代の到来を告げるもの」と歓迎した。

 エチオピアは隣国ソマリアのイスラム過激派組織アルシャバブ(Shebab)の掃討作戦を支援していたため、アルシャバブはメレス氏死去の報に「高揚感をもたらすニュース」と反応した。

 1993年にエチオピアから独立し、1998~2000年には国境をめぐって数万人が死亡する戦闘になった隣国エリトリアとの関係も変化する可能性がある。(c)AFP/Jenny Vaughan