【3月22日 AFP】文化外交という言葉が世界中の政府の間で流行する100年も前に、日本は既に素晴らしい成功を収めていた――。それが、今や人気名所となった米国の首都ワシントンD.C.(Washington D.C.)の桜だ。

 ワシントンの国立公園ナショナル・モール(National Mall)に、東京市(当時)から贈られた桜の苗木の最初の1本が植樹されたのは、1912年3月27日。現在は桜並木となっているポトマック川(Potomac River)沿いの入り江、タイダルベイスン(Tidal Basin)の周りはそれまで殺伐としていた。今では毎年1か月にわたって「桜祭り」が行われ、花見シーズンには100万人以上が訪れる観光スポットだ。

   「桜のことは本で読んで知っていたけれど、実際にこの目で見て圧倒されたよ」と、デラウェア(Delaware)州から来た夫婦。オーストラリアから来た観光客は、「まるで雪が積もっているみたい」とうっとりしながらカメラのシャッターを切っていた。「春の到来を告げる新しい発想で、その美しさははかない。まさに日本的だ」

 日本人にとって桜といえば花びらの舞う中での宴会がつきものだが、ワシントンでは違う。国立公園内での飲酒はご法度だ。それでも、ここで見られる花見という日本の伝統への称賛は、世界各国政府が「ソフトパワー」によって影響力を強めようと多額の予算をかけて自国文化の輸出に躍起になる現代においては、まさに夢が現実となった姿だといえる。

 桜寄贈100周年を迎えるにあたり、藤崎一郎(Ichiro Fujisaki)駐米大使は次のように述べた。「桜は、日本の精神の象徴であると同時に、日米友好の象徴でもある。将来もそうあり続けるだろう」

 日本は当初、タイダルベイスンに日本風の石庭を造るなどして100周年を祝う計画だった。だが、東日本大震災のため計画は遅れ、桜祭りの期間中は事業計画を発表するだけになった。その代わり、アイドルグループ「AKB48」や歌手のミーシャ(Misia)さんら人気アーティストが訪米し、震災後の米国からの多大な救援に感謝の意を示す。また、ニューヨーク(New York)やロサンゼルス(Los Angeles)、シカゴ(Chicago)など全米数十の都市にも日本の桜を植樹する予定だ。

■受難の歴史越え咲く桜、「人生へのメッセージ」

 100年前に贈られた桜にも、日露戦争を終結に導く仲介役を果たした米国への感謝が込められていた。しかし実は、最初に贈られた桜は花を咲かせる機会がなかった。

 1910年、日本から最初に贈られた桜2000本は、到着すると害虫が発生したり病気にかかっていたため米農務省が焼却を命じた。当時のフィランダー・ノックス(Philander Knox)米国務長官は日本に宛てた書簡の中で「辛い決断だった」と述べている。しかし2年後、日本は改めて3020本の桜を贈った。ヘレン・タフト(Helen Herron Taft)大統領夫人が開催した式で植樹されたこの桜は、今度はしっかり根付いた。

 ワシントンの桜が次なる受難に出会ったのは1941年、日米開戦の時だった。ハワイ(Hawaii)・オアフ(Oahu)島の真珠湾(Pearl Harbor)を日本軍が攻撃した後、何者かによって4本の桜が切り倒された。第二次世界大戦が終わるまで、桜はただ「東洋の木」と呼ばれたが、その裏で密かに桜を守る行動を米国人たちは組織していた。

 戦後、桜祭りの人気はあっという間に広まり、日本は1965年、さらに3800本を寄贈した。桜祭りに関する著書があるアン・マクレラン(Ann McClellan)さんは、ワシントンを訪れる人々はまず日本の影響を思い浮かべるが、桜には「大事なメッセージ」も込められていると語る。

  「タイダルベイスンのほとりに寝転び、花の下を歩く人たちの話し声を聞いていると、人生がどんなにかはかなく、美しく、だからこそ精一杯生きなければいけないことに思いをはせます。それこそが日本人の信条で、それを今わたしたち(米国人)も迎え入れているのです」(c)AFP/Shaun Tandon