【9月8日 AFP】米国人の日常を劇的に変えたあの9月11日から、10年が経った。ニューヨークのツインタワーに飛行機が突っ込んだ瞬間や、炎上する建物、タワーの崩壊、灰にまみれた生存者、生存者を救助するために現場に向かった人たちの姿は、多くの人が共有する記憶の残像となった。

 米同時多発テロから10年を目前に控え、AFPでは米国のさまざまな人たちに、事件の知らせを最初に聞いたときにどこにいたかを尋ねた。

<質問>2001年9月11日、あなたはどこにいましたか?

・ジュール・ノーデ(Jules Naudet)、フランス人映画監督――ノーデ氏が偶然撮影した動画は、世界貿易センタービル (World Trade CenterWTC)に1機目が突入する瞬間をとらえた、たった2つの映像のうちの1つだった。ニューヨークの消防士に関するドキュメンタリーの取材中だった。

「ガス漏れの通報を受けて、消防士たちと一緒に現場に着くと、ものすごく近くから飛行機の轟音が聞こえた。反射的に、無意識で音のするほうに向かってカメラを振ると、別の建物の後ろから現れた飛行機がノースタワー(北棟)に直撃した。すぐにタワーに向かって走って・・・。生きたまま炎に包まれて落ちてくる女の人を見た。次の瞬間、上から飛び降りた人たちが地面に打ち付けられる恐ろしい音が響き始めた。カメラをまわし続け、どうにか自分を保っていた」

「しばらくすると、高速列車が迫って来るような音が聞こえてきた。死の音だった。死がこちらに向かってくるのがわかった。その場にいた全員が走り出した」

・ボブ・オブライアン(Bob O'Brien、68)、整備士――当時、WTC付近で働いていた。

「飛行機が突っ込んで、10分か15分後に、窓から外へ人が出ているのが見えた。俺たちは外に出てその様子を見た。服が飛んでるだけだと思ってる人たちがいて、俺は『あれは人だ。人が飛び降りてるんだ』と言ったんだ」

・ベス・ファイテルウィックス(Beth Faitelewicz、50)、看護師――ニューヨークのベス・イスラエル病院(Beth Israel Medical Center)の救急治療室で勤務。

「病院まで歩きで駆けつけて、緊急モードに気持ちを切り替えて、緊急事態のときに自分ができる限りのことをした。一番恐ろしかったのは、結局誰も搬送されて来なかったこと」

・カーラ・シャピロ(Carla Shapiro、55)、アーティスト/写真家――マンハッタンから港をはさんだブルックリン(Brooklyn)の学校で授業をしていた。

「金属の臭いが鼻をつき、舌には金属の味。そして煙の臭いがした。何が起きているのかわからなかった」

・ダウード・ワリド(Dawud Walid)、米イスラム関係評議会(Council on American Islamic RelationsCAIR)ミシガン(Michigan)支部ディレクター――デトロイト(Detroit)の自宅で、出勤する準備をしていた。

「とっさに思ったのは、『神よ、どうかムスリムではありませんように』ということだけだった。その後の何日かで、わたしの車のタイヤは全部切り裂かれた。家の窓も割られ、嫌がらせの電話も鳴り続けた。(イスラム教徒の)仲間のほとんどが、そういう体験をした。攻撃されるのを恐れて、ヘッドスカーフをつけるのをやめた女性も何人もいた。ひげをそり落とした男たちもいた。トラウマとなる出来事だった」

・アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)、カリフォルニア(California)州前知事――カリフォルニアで起床後にニュースの第1報を聞いた。

「テレビを見てがく然とした・・・最初にあのタワーに駆けつけた人びとの勇気に心底、感銘を受けた・・・(ルドルフ・)ジュリアーニ(当時ニューヨーク市長)に電話をして、何か自分にできることはないか聞いた。ジュリアーニは、君はアクションヒーローだから、現場で働いてる人たちを元気づけに来てくれと言った。でも実際に消防署で彼らと一緒に食事をしたり祈ったりして、心を打たれたのはわたしのほうだった。彼らこそが、ヒーローだったんだ」

・ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)前大統領――フロリダ(Florida)州サラソタ(Sarasota)の小学校を訪問中だった。次のコメントは、自伝からの引用。

「わたしの最初の反応は激しい憤りだった。誰かがアメリカに挑み、攻撃している。ただでは済まない、と。それから、目の前の子どもたちの顔を見た。攻撃をした奴らの野蛮さと、子どもたちの純粋さは対照的だった。何百万人ものこのような子どもたちの安全が、間もなくわたしの手に委ねられる。期待に背くことは絶対にできないと誓った」

(c)AFP