【12月16日 AFP】80年代に活躍したバンド「マッドネス(Madness)」や「ザ・キュアー(The Cure)」、今をときめく俳優ロバート・パティンソン(Robert Pattinson)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(Pope John Paul II)、そしてダライ・ラマ(Dalai Lama)…。彼らの共通点が一体何かわかるだろうか。

 まさかと思うかもしれないが、その答えは「ドクターマーチン(Dr.Martens)」の靴だ。

■誕生のエピソード

 ドイツで誕生したシューズブランド「ドクターマーチン」は、今年50周年を迎えた。医療的な観点を取り入れたシューズはやがて“ファッションアイコン”として進化を遂げ、人気のアーティストから世界の指導者まで幅広い層に支持されるようになった。

「ドクターマーチン」は医学博士によって生み出された。スキー事故に見舞われ足を負傷したクラウス・マルテンス(Klaus Maertens)博士が、けがをした足にふさわしい靴を求めてエアクッション入りのソールを考案したのだ。

 ブランドの歴史を辿る書籍「Dr. Martens: The Story of an Icon」を執筆したマーティン・ローチ(Martin Roach)は「当時は購入者の80%が、ドイツに住む40歳以上の女性でした。彼らはより大きな市場が存在すると感じてはいましたが、そのためにはパー トナーが必要でした」と語る。そこで1959年にマーチンと友人は市場を求め動きだし、英国の専門誌にパートナーを求める広告を掲載。それが英国でワークブーツを製造するグリッグス(Griggs)社の目にとまった。

 1960年4月1日に「ドクターマーチン」と名付けられた最初のシューズが世に送り出された。マルテンス博士の名前は発音しやすいように“マーチン”と英国風の読みになった。シューズは英国のウォラストン(Wollaston)にあるグリッグスの工場で製造された。8ホール、濃いレッド、イエローのステッチ。新たなデザインのシューズは誕生した日付にちなみ「1460」と名づけられた。

■労働靴からファッション靴へ

「ドクターマーチン」の新たなターゲットは、低価格でより良い快適さや柔軟性を持った靴を求める英国の労働者階級だった。ロンドン・カムデン地区のシューズショップ「ブリティッシュ・ブーツ・カンパニー(British Boot Company)」のオーナー、ニック・ロマーナ(Nick Romona)は「私の祖父は、初めてドクターマーチンのブーツを世界に売り出した人物でした。世界で一番長く販売しています」と語る。「シューズは見た目が良く、頑丈で、快適で、労働者層の仕事用靴として手ごろな価格でした。頑丈で優れたブーツは、パンクスやスキンズたちの間にも浸透していきました」

 ミュージシャンにとって「1460」は労働階級との結び付きを強調するための必需品となった。多くのスターに影響を与えた「ザ・フー(The Who)」のピート・タウンゼント(Pete Townshend)もその中のひとりだ。

 ローチは「新たなサブカルチャーが誕生する際、大概は過去に流行ったカルチャーのシンボルを取り入れるような真似はしない。しかし、ドクターマーチンはスキンズ、パンクス、モッズ、グランジなど全てのジャンルに愛された」と語る。そして今もなお、ドクターマーチンはスタイルアイコンとして人気を博している。「ドクターマーチンとヤングファッションが持つDNAは同じ。だから、その人気は永久に不滅なのです」とローチは分析する。

■幅広い支持

 ローチが「郵便配達員、学生、看護師、裁判官…。ドクターマーチンは全ての人を魅了するのです」と語るように、ブランドの支持層は広い。初めてドクターマーチンのシューズを買ったという医師は「仕事で毎日たくさん歩くので、毎年のように靴がすり減ってしまいます。なので、長持するマーチンの靴が欲しかったのです」と語る。40代の女性も「初めてドクター・マーチンのブーツを買ったのは16歳の時。今でもなんの問題もなく履け、心から気に入っています」と満足気だ。  

「ブリティッシュ・ブーツ・カンパニー」には、各国からドクターマーチンを愛する人が訪れる。ロマーナは「全てが始まった場所を求めて、世界中 から人々がやってきます。親世代から若者まで…特にヨーロッパからの来訪者が多いです。彼らの父親もまた70、80年代にこの店で初のドクターマーチンを購入したことでしょう」と語る。「ドクターマーチンのブーツを始めて売り出した祖父の孫であることに誇りを感じていますよ」

■1億足以上を販売

 誕生してから過去50年間の間に販売されたシューズの数は1億足以上。現在は、鮮やかなピンクやゴールド、花柄、カスタムパターンなど、250種類以上のシューズを展開する。

 しかし、2002年からほとんどのシューズの製造拠点がアジアに移された。ウォラストンの工場では10名ほどの職人たちが昔ながらのマシーンを使い、「1460」のヴィンテージモデルなどを製造している。(c)AFP/Elodie Mazein