【5月30日 AFP】29日に74歳で死去したデニス・ホッパー(Dennis Hopper)は、ハリウッド映画界で俳優、監督として50年間に及ぶ波瀾万丈なキャリアを送り、名作『イージー・ライダー(Easy Rider)』で不朽の名声を獲得した。

 フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)大統領がニューディール政策をすすめていた1936年、米中部カンザス(Kansas)州で生まれたデニス・ホッパーは、第2次世界大戦(World War II)後の米国を体現した俳優・監督だった。

 映画初出演は『大砂塵(Johnny Guitar)』(1954年)。その後『理由なき反抗(Rebel Without a Cause)』(1955年)、『ジャイアンツ(Giant)』(1956年)、『OK牧場の決斗(Gunfight at the O.K. Corral)』(1957年)と出演が続いた。『理由なき反抗』の撮影中にジェームズ・ディーン(James Dean)と親交を深めたが、ディーンは1955年9月に交通事故で死亡する。

 初監督は『イージー・ライダー』(1969年)。同映画では、ピーター・フォンダ(Peter Fonda)やジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)らと共演し俳優としても成長した。『イージー・ライダー』はカルト映画の古典的名作としての評価を獲得した。

 1970年代のホッパーのキャリアは、薬物とアルコール問題で覆われたものだった。1979年には、マーロン・ブランド(Marlon Brando)の出演するフランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)監督のベトナム戦争映画『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』で、マリファナを吸引する写真家の役で登場した。

 一方、デニス・ホッパーは熱心なモダンアート収集家でもあったが、晩年には、14年近く連れそったビクトリア(Victoria)夫人と激しい離婚闘争を繰り広げ、「コレクションも離婚訴訟には持ちこたえられないだろう」とジョーク混じりに語ることもあった。ことし4月には、裁判所が生活・養育費として毎月1万2000ドル(約110万円)を夫人と娘に支払うようデニス・ホッパーに命じていた。

 また、政治参加の面でも、デニス・ホッパーは反抗者だった。ハリウッドの大半の人びとが民主党支持であるのに対し、ホッパーは共和党を支持し続けた。しかし2008年の大統領選では、バラク・オバマ(Barack Obama)民主党大統領候補に票を投じたことをインタビューで明かした。

 3月には、ハリウッドの殿堂「ウォーク・オブ・フェーム(Hollywood Walk of Fame)」入りを果たし、記念式典には半世紀近くにおよぶ長いキャリアで共演した仲間らがかけつけた。

 その際、デニス・ホッパーは、「人生で学んだことはすべて、わたしが旅をしてこの目で見た世界と、そして君たちから教わった。まあ、つまり君たちから全部もらった。ここがわたしの家であり学校だった。君たちみんなを愛してる。ありがとう。わたしには本当に大きな意味のあることなんだ。ありがとうみんな」と語っていた。(c)AFP/Paula Bustamante