【6月2日 AFP】(写真追加)1989年の天安門(Tiananmen)事件につながった民主化運動の学生リーダーの1人として、中国政府の最重要指名手配犯リストの筆頭に挙げられた王丹(Wang Dan)氏。7年近く投獄されたのち、米国に亡命した王氏は、自分が果たした役割について現在も大きな誇りを抱いている。

 台湾でAFPのインタビューに応じた王氏は、「われわれは多くを失ったが、得たものも多い。それを思うたびに、誇らしさが湧いてくる」と語った。

 天安門事件から20年がたつが、自分を普通の大学生から反革命主義者に変えたあの動乱の日々についての後悔は無い。王氏は柴玲(Chai Ling)氏、ウアルカイシ(Wu'er Kaixi)氏などの学生リーダーらとともに、北京(Beijing)の天安門広場(Tiananmen Square)にテントを張り6週間にわたって平和的な民主化運動を率いた。その後、この運動は中国共産党にとって、党始まって以来の最大の脅威となる。

 天安門事件後に王氏は逮捕され、7年近くを獄中で過ごす。1998年、国際的な圧力のもとで仮釈放され、渡米した。2008年にハーバード大学(Harvard University)で東アジア史の博士号を取得。現在は英オックスフォード大学(Oxford University)に上級研究員として籍を置き、ここから中国民主化運動を続けている。

■忘れられない日 

 当時の写真は、弱冠20歳の、絵に描いたような反抗的な若者である王氏の姿をとらえている。大きくて丸いめがねをかけ、髪はロング。1989年4月末、広場に集まった群衆を前に、緊張した面持ちで初めての演説を行った。「われわれの民主主義と自由の力を、年寄りの一味から奪い返そう!」

 王氏はAFPとのインタビューで、「心にいちばん深く刻まれているのは、4月27日のデモ」だと振り返る。「至る所に横断幕があった。中華人民共和国建国以来はじめての、無許可で行われた政治的なデモだった。中国人民はようやく、自分たちの言葉で語り始めたんです」

 このデモは、その前日に中国共産党の機関紙「人民日報(People's Daily)」に掲載された社説がひきがねとなった。社説は天安門広場での民主化運動について「国を騒乱に陥れ、共産党と社会主義体制を拒絶するために入念に練られた陰謀」と論じたのだ。

 翌27日、警察の中止命令を無視して、5万人以上の学生が大学地区から天安門広場まで行進した。秩序正しく、平和的に行われたこともあり、地元住民の間で学生への支持が拡大した。

 学生たちの間には、勝利は近いとの確信から、強い高揚感が漂っていた。

■天安門事件

 王氏は、「学生の間には多くの意見の相違があったが、これが『虐殺』を招いたのではない。共産党指導部内での意見の相違が原因だ。政府が弾圧を優先させる場合、学生がどんな戦略や作戦をとろうが、結果は常に同じなのです」と主張する。

 また、現在の共産党指導者たちは、当時の胡燿邦(Hu Yaobang)、趙紫陽(Zhao Ziyang)といった指導者よりも「はるかに保守的で、従来路線を変更する意志は全くない」と王氏は分析する。胡元総書記は1987年に、趙元総書記は1989年に、それぞれ「学生の抗議活動を放置した」ことが原因で失脚した。

■「楽観的」であり続けることを学んだ

 王氏は、現在は1989年当時よりも多くの困難に直面していると話す。「経済発展は人民の注意をそらしてきたし、国際的な環境も変化した」

 だが、今でも緊密に、中国国内や海外外に暮らす当時の活動家たちと連絡を取り合っている。「政府は人民を以前のように統制できなくなっており、インターネットのおかげで市民社会も現れつつあります」

 反体制活動家らは、4日で天安門事件20周年を迎える今週、喪に服するために白い服を着るよう、人々に呼びかけている。王氏も「中国全土が白で覆われるといいのだが」と話す。

 王氏自身は、20年前の歴史的な事件で何を学んだのだろうか?

 その答えは、こうだ。「忍耐強く待つこと、そして、困難に直面しても楽観的であり続けることを学んだ。中国への帰国についても楽観的に考えている。まもなく帰れるだろう、とね」(c)AFP/Pascale Trouillaud