【10月30日 AFP】(一部修正)北ソマリアのソマリランド(Somaliland)とプントランド(Puntland)で29日、自動車爆弾による自爆攻撃が相次いだ。2つの地域は長年にわたり反目してきた「半自治分離州」だが、大ソマリアを目指すイスラム強硬派は、エチオピアに後押しされる両地域を、国家統合の障害とみなしている。

 プントランドの経済の中心都市ボサソ(Bosasso)と、ソマリランドの中心都市ハルゲイサ(Hargeysa)で29日、国連機関事務所や政府建物など5か所で同時に爆発があり、少なくとも19人が死亡した。これまでのところ犯行声明は出されていないが、ボサソの自爆事件では犯人の1人が特定され、地元の人間ではなかったとの情報もある。 

■ソマリランドとプントランドの歴史

 アデン湾(Gulf of Aden)に面したソマリランドは、イングランドとウェールズを合わせたほどの大きさで、人口は推定400万人。もともとは英領で、1960年6月にソマリランド共和国として独立、翌月に南部のイタリア領独立と同時に統合し、ソマリア共和国が誕生した。

 ソマリランドは91年、当時のモハメド・シアド・バーレ(Mohamed Siad Barre)大統領が追放された直後に、ソマリアからの独立を一方的に宣言。国際社会からは承認されなかったものの、独自の体制を築いて経済を発展させた。

  ダヒル・リヤレ・カヒン(Dahir Riyale Kahin)大統領は、2002年に元首の座に就き、翌03年ソマリランド初の大統領選挙で選出された。次の選挙は09年3月に予定されている。

 その隣、インド洋に突き出た「アフリカの角」の一角を占めるプントランドは、ソマリランドほどの成功を収めているとは言い難い。

 プントランドは、1998年8月、ソマリア暫定政府の現大統領であるアブドラヒ・ユスフ(Abdullahi Yusuf Ahmed)氏のもとで、自治を宣言した。

■イスラム系武装勢力が台頭

 2006年にイスラム原理主義勢力「イスラム法廷連合(Islamic Courts Union)」が首都モガディシオ(Mogadishu)を含むソマリアの大部分を制圧すると、エチオピア軍が、ソマリア暫定政府を支援するためにソマリアに侵攻した。

 エチオピアの支援を受けた暫定政府軍とイスラム法廷連合はソマリアの中部と南部で激しい戦闘を繰り広げ、プントランドは戦渦は免れたが、ユスフ大統領はモガディシオでの戦闘への人的・経済的支援を、出身地であるプントランドに大きく依存。これがプントランドの弱体化を招いた。

 以来、プントランドでは、警備が手薄な海岸沖での密輸や海賊行為が横行している。

■大ソマリア主義に立ちはだかる両地域

 エチオピアと欧米の大国は、ソマリランドとプントランドを経済・防衛両面で支援しており、これがソマリアの中・南部の大部分を再び掌握したイスラム法廷会議(旧・イスラム法廷連合)の逆鱗(げきりん)に触れている。 

 イスラム法廷会議と、同じくイスラム系武装勢力のアル・シャバブ(Shebab)は、「大ソマリア」解放のための聖戦を呼びかけている。彼らが掲げる大ソマリア主義は、プントランドとソマリランドに加え、ソマリ人が暮らすケニア北部、エチオピア東部も含め、統一されたソマリア国家を樹立するというものだ。

 ソマリランドでは、今回のハルゲイサでの同時自爆攻撃を、来たる大統領選挙のかく乱とソマリランドの弱体化を狙ったものだとの指摘がある。有権者登録は今月初めに開始されたばかりだ。(c)AFP