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首相の先祖は下着ドロ、豪で見直される流刑地としての過去

2008年8月1日 16:58 発信地:シドニー/オーストラリア

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首相の先祖は下着ドロ、豪で見直される流刑地としての過去
北海道留寿都村の国際メディアセンターで、主要8か国(G8)首脳会議後に記者会見するオーストラリアのケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相(2008年7月9日撮影)。(c)AFP/Yoshikazu TSUNO
【8月1日 AFP】オーストラリアのケビン・ラッド(Kevin Rudd)首相の先祖の1人は、ドレスと下着各1枚を盗んだ罪で死刑を宣告された英ロンドン(London)の路上生活児で、曾々祖父は砂糖を盗んでオーストラリアに送られた流刑者だった。研究者らが7月31日発表した。

 流刑者の先祖を持つことは数十年前のオーストラリアでは恥とされたが、現在では名誉の印とも見なされており、首相のイメージ向上につながりそうだ。

■盗みを働いて流罪になった祖先たち

 このたび明らかにされた家系図によると、首相の父方の曾々祖父、トーマス・ラッド(Thomas Rudd)氏は「砂糖1袋を不法に入手した」罪で7年の刑期を過ごすため、1801年に英植民地だったオーストラリアに流された。

 また、国営通信社AAPが家系図を元に報じたところによれば、首相の父方の曾々々祖母にあたるメアリー・ウェイド(Mary Wade)さんはロンドンの路上生活児で、道路掃除や物ごいで日銭を稼いでいた。

 メアリーさんは12歳だった1788年、年上の少女とつるんで8歳の別の少女をトイレに連れ込み、ドレスと下着を奪った。翌89年1月、ロンドンの中央刑事裁判所・オールドベイリー(Old Bailey)でメアリーさんは死刑を宣告されたが、後に減刑され、当時英国の植民地だったニューサウスウェールズ(New South Wales)に流されたという。

 1788-1868年の間に英国からオーストラリアに流された人は、比較的軽微な犯罪者も含め、約16万人に上る。現在オーストラリアでは、国の発展における彼らの役割が、反抗的誇りをもって見直されている。

■流刑者を先祖に持つのは「生粋のオーストラリア人」

 シドニー(Sydney)の末日聖徒イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)で31日に行われた非公開式典で、ラッド首相は革張りの家系図2巻を贈呈された。

 教会の長老は、ラッド首相は移民と流刑者を先祖に持つ「生粋のオーストラリアの血統」だとたたえた。オーストラリア系図学会の会長も、「オーストラリア人にとって流刑者の先祖は『聖杯』に等しい。特に第1船団ならなおさらだ」と述べた。

 オーストラリア政府は今年、刑務所11か所など流刑地だった過去にまつわる場所を、国の象徴として世界遺産(World Heritage)に申請した。ピーター・ギャレット(Peter Garrett)環境・遺産・芸術相はこれらの場所について、「広大で見知らぬ土地に流された16万人以上の流刑者についての切実な物語」を記念する場所だと述べている。(c)AFP
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