【5月13日 AFP】世界を震撼させた動乱の1968年は、カンヌ(Cannes)にも衝撃をもたらした。史上初めて映画祭が会期途中で中止され、レッドカーペットのフィナーレも授賞式もなかったのだ。

 試写会、パーティー、プロモーションなどが目白押しの12日間の第61回カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)が14日に開幕するが、あれから40年が経過した今でも、カンヌは当時のことを忘れることはない。

■カンヌ国際映画祭史上初の会期途中での中止

 第21回カンヌ国際映画祭が開幕し、9日目のことだった。ジャン・リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)がベルベットのカーテンにつかまり、コンペティション部門に出品されていたカルロス・サウラ(Carlos Saura)の作品の上映を中止させようとしたのだ。映画祭を中止に追い込むためカンヌに送られたのは、ヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったゴダールとフランソワ・トリュフォー( Francois Truffaut)。2人はフランスで行われていた「学生と労働者の運動と連帯して」、映画制作の手法を改革し、カンヌ映画祭を中止させようとしたのだった。この行動を支持したモニカ・ヴィッティ(Monica Vitti)、テレンス・ヤング(Terence Young)、ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)、ルイ・マル(Louis Malle)は審査員を辞退した。

 翌5月19日、Robert Favre le Bret実行委員長は映画祭の中止を宣言。参加者、スタッフ、観客すべてを解散させた。

 全国規模の抗議運動やバリケードが1000万人の労働者によるストライキへと拡大していく中、フランスのメディアは映画祭中止を心配した。「カンヌ映画祭は死んだ。これは犯罪だ」とParisien Libere紙は報じた。

■40年目を記念して、幻となった出品作を上映

 今年の映画祭では、その後の映画界に影響を与えたこの事件から40年を記念して、当時、上映中止となった作品が新たに上映される。若き日のジェラルディン・チャップリン(Geraldine Chaplin)が主演していたサウラ監督の『ペパーミント・フラッペ(Peppermint Frappe)』や、クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch)、ピーター・コリンソン(Peter Collinson)の作品などだ。さらに会場に集まる1万5000人余りの観客は、40年目を記念した様々な祝賀イベントにも参加できる。

 エンターテインメント情報誌バラエティ(Variety)は、1968年を「革命のまっただ中で起こった(映画版)ルネッサンス」だと表現する。同誌の映画評論家トッド・マッカーシー(Todd McCarthy)氏はこう語る。「(1968年の事件の)最も良かった点は、世界で起きていることとスクリーンで見ることの、それまで前例のなかったような共存感だった」

 1968年にはまた、『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』、『ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary’s Baby)』、『華やかな情事(Petulia)』、『昼顔(Belle De Jour)』、『華麗なる賭け(The Thomas Crown Affair)』などが公開され、映画ファンにとっては至福の年となった。

■エンターテインメント界においても転機となった1968年

 1968年の興行成績トップの作品は『卒業(The Graduate)』だった。そのほかにも、『ビートルズ/イエロー・サブマリン(Yellow Submarine)』、『低開発の記憶-メモリアス-(Memories of Underdevelopment)』、『if もしも‥‥(If....)』、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生(Night of the Living Dead)』などが大ヒットを収めた。

 バラエティ誌のシンシア・リトルトン(Cynthia Littleton)氏は語る。「今となって思えば、1968年は世界の歴史で転換点となったように、エンターテインメント界においても重要な分岐点となった。権力や社会慣習をあざける反体制文化の運動に、すべてが色濃く影響を受けていた」

■映画祭中止から誕生した「監督週間」

 今年の映画祭の目玉のひとつは、映画祭と平行して行われる監督週間(Director’s Fortnight)で特別上映されるロバート・クレイマー(Robert Kramer)監督の『Milestones』(1975)だ。

 上映時間3時間にわたる同作品は、1960-70年代の米国における反体制文化がテーマになっている。当時行われていたベトナム戦争を背景として、全世界に急激な変化が起きた時代の米国の世界での役割と国内での価値観に疑問を抱く若い米国人の生活を数年にわたって描いている。

 象徴的なことに、この作品が上映される監督週間は、1968年の事件から誕生したのだ。

 その当時まで、カンヌ国際映画祭は、映画版五輪のようなイベントだった。各国がそれぞれの代表作品を出品し、上映の前には国歌を演奏し、賞を競うのだ。そして時には、敵対する監督の作品を酷評し合うこともあった。

 しかし、1968年にゴダールらが映画祭を中止に追い込むと、官僚主義と闘い、自分たちの手で映画を守ろうとした映画制作者たちは、監督協会(SRF)を設立。この監督協会が、映画に新しい風を吹き込むひとつの手段として監督週間をスタートさせた。

 監督週間の創設者のひとり、ピエール=アンリ・ドゥロ(Pierre-Henri Deleau)氏は語る。「われわれは、映画の選出をもっと自由にやってほしいと思っていた」

「カンヌに出品したくても選ばれなかったのなら、監督週間に来てください。ホテルの部屋を予約し、あなたの作品を上映します。審査員も賞もない。あるのは映画ファンだけです」創設者たちはこのように語り、監督たちを招待したという。

 そして、これは成功した。1972年には、監督週間で上映された『Family Life』で、無名だったケン・ローチ(Ken Loach)が脚光を浴びたのだ。2年後には、まだ駆け出しだったマーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)監督が若き日のロバート・デ・ニーロ(Robert de Niro)を主演に手掛けた『ミーン・ストリート(Mean Streets)』、さらのその後には、大島渚(Nagisa Oshima)監督の『愛のコリーダ』が上映されている。

 監督週間で有名になったそのほかの監督には、ジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)、ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)、スパイク・リー(Spike Lee)、タヴィアーニ兄弟(Vittorio TavianiPaolo Taviani)、ダルデンヌ兄弟(Jean-Pierre DardenneLuc Dardenne)らがいる。

 今年は、監督週間40年目を記念して、その歴史を描いた作品『40X15』も上映される。(c)AFP/Claire Rosemberg