【8月23日 AFP】(写真追加)3日間の日程でインドを訪問中の安倍晋三(Shinzo Abe)首相は23日、東部コルカタ(Kolkata)で、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故ラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事の息子やインドの反英独立運動の指導者故チャンドラ・ボース(Chandra Bose)の遺族らと面会した。

 英国の旧植民地インド代表のパール判事は、英国をはじめとする連合国判事が並んだ東京裁判で唯一、日本人のA級戦犯全員の無罪を主張したことで知られる。

 パール判事の長男プロシャント・パール(Prashanto Pal)氏(81)と面会した安倍首相は、「パール判事は多くの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めている」と語りかけた。

 東京裁判の正当性に疑問を投げかけたパール判事と、A級戦犯容疑で逮捕されながらも後に釈放された安倍首相の祖父、岸信介(Nobusuke Kishi)元首相とは交友関係にあったという。

 安倍氏との会談についてプロシャント氏は、「非常に喜ばしいこと。父の公正な判断が人々の記憶にとどまっていてくれることを誇りに思う」とAFPに語った。また「戦争の片方の当事者のみを戦争犯罪で裁くことが可能だとは思わない」と父親の判定に同感を示した。

 一方で、安倍首相とプロシャント氏との面会は、旧日本軍の行為に不快感を残すアジア諸国から反発を招くとして、周辺からは懸念する声もあったが、面会せずに帰国をとの進言を首相が退け実現した。

 同日、安倍首相は、印日文化センター(Indo-Japan Cultural Association)の開館式で記者会見を行った後、ブッダデーブ・バッタチャルジー(Buddhadeb Bhattacharjee)西ベンガル(West Bengal)州首相との会談に臨み、続いてチャンドラ・ボース記念館を訪れた。

 記念館で安倍首相はボースの遺族らに「英国統治からの独立運動を主導したボース氏の強い意志に、多くの日本人が深く感動している」と述べた。

 英国植民地時代のインドで、非暴力での独立を目指したマハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)と袂を分かったボースは、第二次大戦の勃発後、日独枢軸に支援を求めて獄中から脱出し、当初ドイツに逃亡した。後に反英運動に対する日本の支持を得、東京でインド国民軍を組織したが失敗。日本の敗戦から3日後、台湾で事故死した。

 ボース記念館の壁は、少年時代のボースと両親や、彼の幼い娘を抱いたドイツ人の妻などの白黒写真で埋め尽くされている。中には1942年5月にベルリン(Berlin)でアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)とともに撮影したものや、1943年2~5月にドイツから日本に向かった潜水艦航海時に撮影された写真もある。

 1945年8月17日にベトナムのサイゴン(Saigon、現ホーチミン)で飛行機を降りるボースの写真は、ボース生前の最後の写真とされる。この翌日の8月18日、ボースは台湾で飛行機事故により死亡した。ボースの死については、今でも謎が多いとされている。

 ボースの姪にあたるクリシュナ・ボース(Krishna Bose)さんは、「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるのなら、私たちインド人も、ボースが英国の植民地支配に抵抗するためにインド国民軍を組織したことを支援したのが、日本だったことを思い出すべきだ」と語った。(c)AFP/Elizabeth Roche