【8月17日 AFP】没後30周年を迎えるロックの王様エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)は1958年に兵役に就き、ドイツのフリートベルクの(Friedberg)にある米軍兵舎でジープのドライバーをしていた経験があり、没後30年を迎えた今もなおその場所に住む人々の記憶に残っている。

 米軍事区域の隣にあるクラブでは、当時14歳の少女が後に伝説となるロックの神様と腕を組むモノクロ写真が飾られている。その日からはや50年、Angelika Springaufさんは目を輝かせながらエルビスとの時間を回想する。少女はエルビスが父親、祖母、二人の友人と共にエルビスが滞在していた町の近郊のバード・ナウハイム(Bad Nauheim)に住んでいた。

 「優しくて思いやりがあり、彼の音楽とは反して気が小さい」とエルビスのことを回想したSpringaufさんは、「彼に何か良いことを言ってあげたら頬をなでてくれたわ。一週間は洗わなかった」と笑いながら話した。

 エルビスは若者のアイドルであったが、保護者からは敬遠されていた。フリートベルク市長のMichael Keller氏は、エルビスの音楽スタイルは米国と同様にドイツでも賛否両論であったと話し、「若者を堕落させる音楽として非難されていた」と記憶している。多くの家庭ではエルビスのレコードを聴くことは許されなかったが、彼は町に新しい息吹を吹き込んだ。

 エルビスは当時14歳でのちに妻となるプリシラ(Priscilla Presley)さんと出会い、1960年にドイツを離れている。

 長年にわたり、フリートベルク市民の全てがエルビスのことを忘れたわけではない。ファンのHans-Ulrich Halweさんは、1970年にエルビスが滞在していたバード・ナウハイムに移り住んだくらいだ。

 Halweさんは1998年に毎年エルビスの死を追悼するフェスティバルを開催するエルヴィス・プレスリー・アソシエーションを設立した。週末にかけて開催されるフェスティバルには5000から1万人の来場者が見込まれ、エルビスのそっくりさんによるコンサートや車のパレードが行われる。Halweさんはエルビス博物館の建設も希望しており、「長続きするものを作って行きたい」と語った。

ドイツ人ファンの唯一の心残りは、エルビスが欧州で一度もコンサートを行わなかったことだ。「エルビスは戻ってくると約束した。僕はまだ待っている」とHalweさんは語った。

(c)AFP/Laure Fillon