【北京/中国 4日 AFP】中国伝統の弓矢の技術を受け継ぎ、後世に伝えることを使命としている男が北京にいる。

 国内でその名を知られた48歳の職人Yang Fuxiさんは、近代化の波に負けず、「祖先のため、そして中国のために」弓矢を守り続けている。「歴史に対する責任を感じています。重大な責任です」居住地区の一角に作られた小さな作業場で腰掛けに座り、言葉を続けた。「できるのだから、やらなければならいと思っています」

 100世代以上も昔から積み上げられてきた知識を基に、Fuxiさんは自身の作品について語る。「良い弓というのは、江蘇の竹から作られ、ニレの木で端を補強された弓です。湿度が低くても長江の北側辺りまでは柔軟さを保てます」

 伝統的な中国の弓は紀元前2500年頃にはほぼ完全な状態にまで出来上がっていて、中国最後の王朝となった清朝時代(1644-1911)まで使用されていた。

 伝統を重んじた清朝が滅亡し、国家の近代化が進み、20世紀の武器技術が海外から輸入されるにつれ、誰も使おうとしない昔の弓矢は、急激に人々の前から消えていった。

 「4500年も途切れることなく続いた歴史は、私が受け継がなければ消え失せてしまうでしょう」と、ひげを蓄えた顔に笑みを浮かべながらFuxiさんは語った。

 Fuxiさんの祖先は、17世紀半ば、馬に乗り中国を征服した満州族であり、弓矢を作っていた職人家族だ。

 10代目となるJu Yuan Haoさんは、伝統を未来へ伝える架け橋の役割を担っている。しかし同時に、その架け橋がほぼ壊れてしまっていることも認めているという。

 初期の中国共産党の支配の下、物資が非常に重要だった時代に、Fuxiさんの父親は弓の制作を無駄だとして禁じられた。以後、家具の修理をして暮らしたという。Fuxiさんは職に就く年齢になると、政治的に正しいとされた、大工になるのが安全だろうと考えた。しかし、それはFuxiさんを満足させるものではなかった。その後はタクシーの運転手にもなった。

 Fuxiさんは語る。「40歳になったとき、弓矢の職人になろうと決めて、父親に教えてもらったんです。私の知識はすべて、父親から譲り受けたものです」

 現在、中国最後の弓矢職人だと考えられているFuxiさんの技術は必要とされ、国営テレビで紹介されたこともある。Fuxiさんが作る矢の値段は1本3800元(約6万円)。中国人と外国人の購入者の割合は同じくらいだという。

 客の中には、Fuxiさん自身のように射手の名人もいる。しかし、1本の弓を作るのに、どれだけの時間と労力が必要かを理解する人はほとんどいない。

 矢の制作は急いでできるものではなく、伝統の手法を用いて作れば、少なくとも1本の弓に1年はかかってしまうとFuxiさんは説明した。「弓の背面には補強のために牛の腱を何層にも用います。腱が一層、接着されれば、次の腱を付けるまで少なくとも一週間は待たなければなりません」

 技術と同時に父親からは忍耐も学んだとFuxiさんは語る。そして、この忍耐を必要とする弓矢の技術が、現代生活の早いペースに慣れてしまった若い世代に受け入れられるかどうかは不安だという。弓を作る仕事は、非常にきつく、時にただただ退屈なこともある。

 弟子になりたいという若者は何人かいたが、仕事の秘技を伝授できる前に諦めてもらわなければならなかったと言う。

 「後継者を見つけるのは大きな課題です。しかし適切な人物を捜し出す時間はまだあります」Fuxiさんは続けた。「19歳になる私の息子が後を次ぐ可能性もあります。しかし息子は、我々の時代には当たり前だった苦労には慣れていない世代の若者です」

 Fuxiさんは、後継者を見つけるには、広い視野を持っているという一方で、ただ1つだけ条件があるという。後継者は男子でなければならないということだ。

 「この仕事の3分の1の手順なら女性にも可能でしょう。矢をまとめたり、出来上がった弓に筆を入れたりはできるでしょう。しかし残念ですが、弓を作るには、男の体力が必要なのです」

 写真は1日、自身の作業場で弓作りに励むFuxiさん。(c)AFP/Frederic J. BROWN