【10月16日 AFP】柱の陰に隠れていたムラド・ハクラ(Murad Hakura)さん(32)は、射殺された仲間2人の血が自分にしたたり落ちているのを感じた──それはシリア政府軍による被収容者の「虐殺」、少なくともそうハクラさんが呼ぶ出来事の最中のことだった。

 反体制派の進軍が目前に迫るシリア北部マーラトヌマン(Maaret al-Numan)で8日、撤退の準備を進める政府軍の情報機関員らが被拘束者らに向けて発砲し、60人以上を殺害したとハクラさんは語った。

■捕らわれたハクラさん

 ハクラさんは、首都ダマスカス(Damascus)で店を経営しており、家族はマーラトヌマンで暮らしていた。6月21日、ダマスカスとマーラトヌマンを結ぶ高速道路の検問で呼び止められ、町の東部にある古い町の施設に拘禁されたと当時を振り返り述べた。

 牢獄につくり替えられたこの施設は、9日に反体制派がマーラトヌマンを掌握するまでの間、政府軍の情報機関が尋問のために使っていた。

 施設地下の2部屋には、革命の賛同者あるいは離反を望む兵士と疑いをかけられた80人以上が詰め込まれていた。彼らは毎日のように尋問を受け、こぶしやこん棒で殴られたほか、電気ショックで責め立てられるなどの拷問を受けていた。

 町の西部に潜伏していた反体制派が攻勢に出始めると、捕らわれた人々は軍兵士からの報復を恐れるようになった。

「だが実際にあんなことが起きるなんて誰も想像していなかった」とハクラさんは述べた。

■「虐殺」

 8日午後、軍の撤退を前にハクラさんらが拘束されていた部屋に軍の兵士2人が入ってきた。「うち1人はジャラルだった」とハクラさんは語る。ボイラー室での尋問の中、手錠をかけられたりつるされたりした被拘束者を拷問したのがジャラルという名の男だったという。

 部屋に入ってきた兵士らは、持っていたカラシニコフ(Kalashnikov)銃を被拘束者に向けて発砲し、「弾倉3つを空にするまで」撃ち続けた。

 ハクラさんはすかさず柱の陰に隠れた。「私は床に丸くなり、2人の体が私の上に倒れてきた。彼らの血がしたたり落ちているのを感じた。彼らの祈りの声を聞き、最後のうめき声も聞いた」。兵士らは次に、残りの被収容者がいる隣の部屋へ行き、そこで再度発砲したという。

 政府軍はその後、反体制派部隊の施設襲撃を受けて施設から撤退した。

 奇跡的にハクラさんは無傷だった。彼は撃たれた人々に止血帯を巻いたり、プラスチック製の袋を使って出血を止めようとしたりして応急手当てを行った。

 反体制派の戦闘員らは建物内をひと部屋ずつ回ったが、すでに政府軍は消えていた。「私たちは司令官のファーストネームを呼びながら、彼ら(反体制派)に向かって発砲するなと叫んだ」とハクラさんは語る。

「私のいた部屋で28人、隣の部屋で32人が死んでいるのを、この目で確認した。けがをしていた3~4人も、間もなく死んだ」(ハクラさん)

■銃を手に

 ハクラさんの語る出来事は、地元の活動家らの発言や、反体制派がインターネットに投稿した凄惨(せいさん)な写真と合致しており、政府軍による虐殺行為を記す長いリストに、新たな事件として加えられることになった。

 事件発生から3日が経過したが、銃弾で穴が開き、血のこびりついた地下の2部屋は、鮮明に「虐殺」があったことを物語っている。腐敗した遺体の放つ、胃がムカムカするような強い悪臭が鼻を刺激し、ハエの群がる凝固した血の痕で靴の裏は床にべたつく。血の飛び散った壁には、反体制派がカラースプレーで書いたスローガンも見られた。

「バッシャール・アサド(Bashar al-Assad、大統領)による虐殺、再び」

 ハクラさんは記者たちに、発砲のときに自分が隠れていた場所を教え、その様子を再現しながら、「(拘束される前、)私は何も悪いことをしていない。私はごく普通の抗議者だった」と語った。

 ハクラさんは現在、カラシニコフ銃を手に前線で反体制派として戦っている。(c)AFP/Herve Bar