【12月16日 AFP】アフガニスタンの首都カブール(Kabul)で6日起きた自爆攻撃の直後、積み重なる死体の中に1人立ち、叫ぶ少女――。現場に居合わせ、この写真を撮影したAFP通信の写真記者マスード・ホサイニ(Massoud Hossaini)氏(30)に、当時の状況や、アフガニスタン人として戦火に引き裂かれた祖国を撮影することの意味についてインタビューした。

ホサイニ氏の撮影した「叫ぶ少女」の写真(ショッキングな表現が含まれます)

■自爆犯が自爆した場所に立っていた

   ホサイニ氏は、爆発からわずか数メートルの場所にいた。イスラム教シーア派の霊廟を狙ったこの自爆攻撃では、少なくとも70人が死亡した。

   Q: その日、起きたことについて教えてください。 「カメラを見ていたら突然、大爆発が起きた。爆風で体の内側に痛みを感じ、地面に倒れこんだ。煙から逃げようとみんな走っていた。座って手を見たら血だらけだったが、痛みはまるで感じなかった」

   「状況を把握することが自分の仕事だと思い、逃げる人波に逆らって走って行った。煙が消えると、自分が立っているのが、死体のど真ん中なのが分かった。折り重なっていた。私が立っていたのはまさしく、自爆犯が自爆した場所だった」

   Q: どう思いましたか?

   「ただただショックで、途方に暮れた。自分が舌打ちしながら泣いているのに気づいた。それまで一度も体験したことのない、とても奇妙な泣き方だった」

   「私は誰も助けなかった。助けられなかった。とにかく取材して、記録しなければと思った。走り回りながら泣き、叫び、胸を叩いて嘆き悲しんむ人たちの痛みを、『アルカイダに死を、タリバンに死を』と叫んでいる人たちを」

■痛みを知ってほしかった・・・叫ぶ少女の写真

   Q: 12歳の少女、タラナ・アクバリちゃんの写真を撮った時のことを教えてください。

   「右を向いたら、女の子が立っていた。自分の兄弟、いとこ、おじさん、祖母、周りにいた人たちに何が起きたのかを見て、彼女は叫んでいた。彼女は色々な反応をしていたが、私の写真では彼女はただ叫んでいる。一番撮りたいと思ったのは、このショックだった」

   (その後、現場にいた若者たちが、記者たちを襲い始めた)

   「彼らは、私を蹴ってその場から追い出そうとしたが、私はどうにか戻って、死体を運ぶ人たちを記録した。人々の本当の痛みを、私の写真を見る人たちに感じてほしかった。それを見るのがアフガニスタン人だろうが、アメリカ人だろうが、イスラム教徒だろうが、キリスト教徒だろうが、誰だろうが構わない。ただ、私の故郷の人びとが今、どんな痛みを感じているのか知ってほしいと思っただけだ」

    Q: この事件にどんな影響を受けましたか?

   「起きたことを100%全て感じ取った。爆発した瞬間も、爆発の前も後もその場にいて、自分もけがをした。ものすごい体験だった。2日間、寝付けなかった」

   「目を閉じるとあの時の場面が浮かんできて、あの人たちのために他に何かできなかったのか、どうして誰も助けなかったのか、自問してしまうんだ。3日目にそうした感情の高ぶりがすべて消えた。この(少女の)写真がいろんなメディアに掲載されたのを目にしたからだ。あちこちで取り上げられていたし、反響も大きかった。あの写真を撮って、できる限り早く送ることができてよかった」

■苦しみ、泣きながら続ける取材活動

  Q: アフガニスタン人写真記者として、母国で取材をしていることについて、どう思っていますか?

   「自分は間違ったところ――アフガニスタン――に生まれて、間違ったところ――イラン――で育った、と思っている。そしてまた今、自分は間違ったところ、カブールに住んでいる。戦争のせいで、私の家族は私がまだ赤ん坊の頃にイランへ移住したが、生活はとても苦しかった」

   「平和だが困窮した場所(イラン)から、経済的にはましだが戦争のただ中にある場所へ帰ってきたのが、今の自分だ。私はここで育っていないから、アフガニスタンをよそ者の目で見ている。多くのアフガニスタン人は戦争を日常生活の中に見ているが、私が育ったイランではそんなことはなかった。ここでは全てが戦争だ」

   「かつて、私は1人の写真家にすぎず、彼らは被写体だった。今でも彼らは被写体だが、私も彼らと共にいて、彼らの一部だと言える。みんなの気持ちを感じ、一緒に泣いている。彼らが苦しむことに、私も苦しんでいる」

  Q: アフガニスタンを去ろうと思うことはありますか? 「誰もが思うように、私もこの国を去ってもっと良い生活のできる、ましな環境に暮らしたいと思う。けれど、それは複雑なことなんだ。アフガニスタンを出て、何をしたらいいんだろう?」

   「私はアフガニスタンのために自分ができることをしたい。過酷で苦い真実かもしれないけれど、その真実を可能な限り伝えたい。ただ、今の状況は私にとっては非常に辛い。私が写真で伝えたい真実とは、私が自分の人生に感じている何かでもある。時々、どこか他の場所を取材できればって思うよ。プロの写真家として活動しながら、それで自分の心が痛まない場所であったら、と」

(c)AFP