【9月1日 AFP】70年前の1939年9月1日、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)のナチス・ドイツがポーランドに侵攻した。

 ドイツ戦艦は同日、宣戦布告なしにポーランドのグダニスク(Gdansk)港(独名:ダンチヒ)を攻撃。ナチス・ドイツ軍は国境線を突破し、ポーランド領内に武力侵攻した。歴史家の大半は、この「ポーランド侵攻」を第2次世界大戦(World War II)の開戦とみなす。

 しかし、ポーランドの軍事同盟国だった英仏がドイツに宣戦布告する9月3日まで、「ポーランド侵攻」はドイツとポーランドの二国間紛争にすぎなかった。この後、「ポーランド侵攻」は次第に、さまざまなレベルで世界を巻き込んだ大戦へと拡大していった。

■アジアがみる大戦開始は欧州の数年前

 アジアから見た第2次世界大戦の開始は、欧州とは異なる。

 当時の中華民国総統、蒋介石(Chiang Kai-shek)は日記のなかで、1931年に中国東北部の奉天(現瀋陽、Shenyang)で起きた満州事変を、世界大戦の始まりとする見方を示している。満州事変をきっかけとして日本は中国東北部の満州(Manchuria)を占領、かいらい国家を作り上げた。

 これに対して中国人の多くが考える大戦の始まりは、1937年7月7日の廬溝橋事件だ。これを機に両国は日中戦争に突入し、旧日本軍は中国本土への全面攻撃を開始した。

■侵攻された日、参戦した日、開戦日はいろいろ

 一方、第2次世界大戦を「偉大な愛国戦争」と呼ぶロシアでは、1941年6月22日のナチス・ドイツによるソ連侵攻を開戦とみる。

 だが、ポーランド人から見れば、東欧における独ソの勢力範囲を確定した独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、すでにソ連軍は1939年9月17日、ポーランド東部に侵攻していた。ソ連はその数週間後にはフィンランドにも侵攻し、1940年にはエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国を併合した。ソ連は旧日本軍とも、1938年(張鼓峰事件)と39年(ノモンハン事件)に衝突している。
 
 しかし、ナチス・ドイツがデンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダと進撃し、英国への空爆を開始した1940年までは、欧米諸国にとって大戦は「まやかしの戦争(Phoney War)」でしかなかった。同40年、ドイツと同盟を結んでいた枢軸国のイタリアも、連合国側に宣戦布告し参戦した。

 欧州から離れた米国では、旧日本軍がハワイ(Hawaii)州パールハーバー(Pearl Harbor)の米海軍基地を奇襲攻撃した1941年12月7日(日本時間8日未明)が開戦の日だ。

 開戦同様に、大戦終結の日も各国によってさまざまだ。

 欧州で第2次世界大戦が終戦した日といえば、ドイツが降伏した1945年5月8日(ロシアでは9日)だが、太平洋戦争は同年8月上旬に広島と長崎に原爆を投下された日本が9月2日、降伏文書に調印し、国際的に終結した。(c)AFP