【6月18日 AFP】赤道ギニアの2004年のクーデター未遂事件を首謀したとされる英国人雇い兵サイモン・マン(Simon Mann、55)。同被告に禁固30年が求刑された17日の裁判は、アフリカ大陸で雇い兵が長らく暗躍してきたという事実を浮かび上がらせた。

■各国の内紛に参加

 雇い兵が全盛期を迎えたのは、ベルギー領コンゴがコンゴ共和国として独立した直後の、1960年の「コンゴ動乱」の時代だ。カタンガ(Katanga)州がコンゴ共和国からの独立を宣言したことに端を発するこの動乱で、フランス人雇い兵ボブ・ディナール(Bob Denard)、ベルギー人の「ブラック・ジャック」ことJean Schramme、英国人の「マッド・マイク」ことMike Hoareが活躍した。コンゴ共和国はその後、ザイールと国名を変更し、現在はコンゴ民主共和国となっている。

 ディナールは前年10月に他界。フランス軍を退役後にコンゴ、アンゴラ、ナイジェリアなどで雇い兵として活躍し、コモロでは4度にわたるクーデター(未遂を含む)に関与した。2006年には、1995年のコモロのクーデター未遂事件に関与した罪でパリ(Paris)の裁判所で執行猶予付きで懲役5年の有罪判決を受けたが、アルツハイマーを患っていたこともあり、刑に服することはなかった。

 1967-70年のナイジェリアのビアフラ(Biafra)内戦では、独立を宣言したビアフラ共和国と政府軍の双方に雇い兵は存在した。政府軍でミグ戦闘機を操縦していたのは、軍隊から落ちこぼれて操縦の仕方もろくに知らない雇い兵たちだったという。

 2002年9月にコートジボワールで軍人が蜂起した際も、ローラン・バグボ(Laurent Gbagbo)大統領を守るべく雇い兵が活躍した。反乱軍は西部を制圧し、同国は内戦状態になった。大統領側は、反乱軍は隣国から雇い兵を募集していると主張した。

 マダガスカルでも、2002年に2つの政府が併存する異常事態となった際に、それぞれの政府を支持する2つの雇い兵部隊が同国への入国を試みたが、失敗している。

■国籍はさまざま

 マン被告は、アパルトヘイトが撤廃される前の1991年、南アフリカに民間軍事会社「エクゼクティブ・アウトカムズ(Executive Outcomes)」を設立。戦闘経験が豊富でよく訓練された南アフリカ人、ローデシア人を、人種を問わず採用し、アンゴラやシエラレオネ、遠くはパプアニューギニアまで、紛争地帯に送り込んだ。同社は、定期的に支払う給料のほかにも、健康保険や年金なども完備していた。

 VIPの警護要員は、アイロンのよくかかった制服とぴかぴかに磨かれた軍靴を身につけるよう心がけていた。

 マン被告ら約60人が2004年にジンバブエで逮捕されたが、このうちの少なくとも1人は1998年にエクゼクティブ・アウトカムズを吸収合併したサンドライン・グループ(Sandline、本社:ロンドン)の雇い兵ではないかと報じられた。この1998年は、南アフリカが世界で初めて雇い兵を禁止する法律を採択した年だ。

 赤道ギニアのクーデター未遂事件に関与したとして拘束された雇い兵の国籍は、アンゴラ、アルメニア、ドイツ、カザフスタン、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエと多岐にわたる。(c)AFP