【1月14日 AFP】コロンビアの左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(Revolutionary Armed Forces of ColombiaFARC)」に拘束されている人質たちは、ジャングル内のキャンプで首に鎖を巻かれながら暮らし、夜には腰に丸太をくくり付けられて寝ていた-10日に同ゲリラから解放されたコロンビア人の元人質2人が地元メディアに証言した。

■首には常に鎖、夜は丸太につなげられ

 最初に救出の試みがあって以来、人質たちは常に処刑されることを恐れていたという。「(人質の)兵士や警官たちは1日中、鎖につながれて暮らしていた。何をするときでも最低1本、首には鎖が巻かれていた。残りの鎖は、肩にかけた袋の中に入れていた」と、人質だったコンスエロ・ゴンサレス・デ・ペルドモ(Consuelo Gonzalez de Perdomo)元議員(57)が、首都ボゴタ(Bogota)の地元ラジオ局カラコル(Caracol)に語った。「体を拭くときも洗濯するときも、食事のときも鎖につながれていた。夜には鎖はそれぞれのベッドのそばに置かれた丸太に巻かれた」

 ゴンサレス元議員は、フランス系コロンビア人のイングリッド・ベタンクール(Ingrid Betancourt)元大統領候補(46)と一緒に人質となったクララ・ロハス(Clara Rojas)元副大統領候補(44)とともに10日、それぞれ6年と5年の拘束から解放された。内地山岳部のジャングル内に点在するFARCの秘密キャンプで、他の人質約750人とともに拘束されていた。

■軍との衝突で命に危険も

 解放された2人は心身ともに一見健康そうだが、FARCから受けた非人間的な扱いや恐怖、また手当ての施されない病など、人質生活の困難を語った。ゴンザレス元議員によると、同じグループにいた10人の人質たちは全員、症状の異なる健康問題を抱えていたという。「さらに悪いのは何にかかっているのか分からなかったこと。(ジャングルでは)医師へ相談することも健康診断を受けられる可能性もまったくなかった」とゴンザレス氏は訴えた。唯一の鎮痛剤は、ゲリラが「看護師」と呼んでいた一味の女性が配る胃痛薬か下痢止めだけだったという。

 また人質たちはジャングル内の長距離をキャンプからキャンプへと徒歩で頻繁に移動させられ、ゲリラが軍の部隊と衝突したときには「非常に危険な状態」に直面させられたという。「自分たちが立っている数メートル先で爆弾が爆発する音が聞こえた。ヘリコプターからの機関銃掃射にも遭った」とゴンザレス氏は語った。

■救出作戦あれば「殺害せよとの命令」

 ゲリラ側の見張り責任者からは常に「救出作戦があれば、人質を殺害せよとの命令を受けている」と言い聞かされた。「わたしたちはもともとそれをよく知っていた。人質となってからの環境下ではいっそう、救出作戦はうまくいかないだろうと悟った」とゴンザレス氏は振り返った。

 同時に解放されたロハス元副大統領候補は、ベタンクール元大統領候補とともに多くの人質同様、伴う危険に賭けてでもジャングル内の監禁から逃げ出すことを考え続けていたという。見張りのゲリラたちはよく、逃げようとすればどうなるか人質たちに言い聞かせ、脅していたという。「彼らはわたしたちにタランチュラ(毒グモ)やヘビを見せては、『ジャングルで迷い消えた人々』について話して聞かせていた」

 しかし、ロハス氏とベタンクール氏は一度、逃亡を試みたことがあった。ラジオ局La Wのインタビューでロハスさんは「逃亡計画を立て、チャンスが来たときに逃げ出したが運悪く迷ってしまった。夜だったこととジャングル内だったため、(ゲリラの)キャンプからたいして遠くまで行けなかった」と述べた。

 2人は他の人質たちとともに繰り返し逃亡を試みたが、いつも捕らえられて終わるだけだった。鎖はその罰だった。「最初の15日間はずっとつながれたまま。その後は夜だけつながれるようになった」という。(c)AFP