写真はティールでAFP記者に話すSami Meslemaneさん(10日撮影)。(c)AFP/BEATRICE KHADIGE
【ティール/レバノン 12日 AFP】レバノン南部から避難した子どもと孫に会うため、レバノン人漁師、Sami Meslemaneさん(75)は、地中海沿いの曲がりくねった山道を数十キロ裸足で歩いた。「ティールからBekaata村までは、ほとんど徒歩で4人の子どもと8人の孫のもとに来ました」。
◆避難先では、食料も服も不足
背が高く、疲れた顔で鋭い目をした漁師のMeslemaneさんが、港湾都市ティール(Tyre)を出発し、レバノン中部のシューフ地区Bekaata村に避難したのは6日のことだった。家族は3週間前、数百人の子どもを含む1000人以上の死亡者を出しているイスラエル軍の攻撃から逃れるため、レバノン北部の親戚の家へ向かった。ティールに残ったMeslemaneさんも、南部への空爆が激しさを増したため、避難を決めた。
白髪で面長、歯にすき間のあるMeslemaneさんは、家族と再会した際の様子を次のように語った。
「私が到着したとき、家族は飢え、服もなく、泣いていた。3週間で80万レバノンポンド(約6万2000円)を使ってしまったため、お金も少ししか残っていなかった」
学校で寝泊りする家族が、50世帯ほどおり、床に布を敷いて寝ていたと言う。
ティールを出発した際に持ってきたのは、赤十字国際委員会(International Committee of the Red Cross、ICRC)から支給された12パックの食糧のみ。
Meslemaneさんは、孫たちと過ごした夜、眠れなかったと言う。「忘れ去られた」避難民たちの話をコーヒーを飲みながら聞き、ティールに戻って子どもたち用の清潔な服などを持ち帰ってこなければいけないと考えた。「私は朝5時に出発し、夜中にシドン(Sidon)に到着した」。山道、30キロほどの距離だ。
「道路脇にオレンジの木を見つけ、食べたが、それ以外何も食べていません。足には水膨れができ、プラスチックのサンダルで切り傷もできたので、裸足で歩いた」
と、ただれて硬くなった足を見せた。
◆75歳でこんな体験をするとは
一晩を野外で過ごし、翌日、数人のジャーナリストが、Meslemaneさんをリタニ(Litani)川まで運んでくれた。リタニ川の2つの橋はイスラエル軍の攻撃で破壊され、車は通れなくなっていた。Meslemaneさんはようやく、子どもたちの服を集めることができた。
「やっと、3袋分の服と少額のお金を手にすることができた。明日、Bekaata村に戻るため出発します。子どもたちと離れていたくありませんから」
Meslemaneさんは最後にこうポツリと語った。「年をとって、こんなことを体験するとは思ってもみなかった」。
写真はティールでAFP記者に話すSami Meslemaneさん(10日撮影)。(c)AFP/BEATRICE KHADIGE