【3月11日 AFP】ロンドン五輪の最年長出場選手になるとみられている馬術の法華津寛(Hiroshi Hoketsu)は、70歳を迎えてもこれまでと同じく調子は上々だと感じ、この大会で活躍したいと願っている。

 2008年の北京五輪に大会最年長選手として出場した法華津は、約40分間の筋力トレーニングと、ビタミンや免疫力を高めるサプリの摂取を日課としており、健康を保つために特別な努力は要していないと明かしている。

 食生活も他の選手に比べて厳しい制限はない。グラスワイン1杯の晩酌を含め、法華津は好きなものを飲食しているが、まったく差し支えはない。体重は五輪初出場を果たし40位に終わった1964年東京五輪当時と変わらず、62キロを維持している。

 28日に71歳を迎える法華津は、ドイツのアーヘン(Aachen)の自宅からAFPの電話インタビューに応じ「体力的にも気力的にも、4年間あまり変わらないですね。カゼぐらいひいたことはありますけど。それ以外、大きな病気は幸いにもないです」と語った。

■東京五輪で初出場、ロンドン五輪は「節目」

 1日にフランスで行われたロンドン五輪出場選考会を兼ねた国際大会で、法華津と愛馬のウィスパー号(Whisper、15歳)は優勝し、馬術国際連盟(International Equestrian Federation)が発表した馬場馬術の世界ランキングでアジア・オセアニア地区のトップに立ってロンドン五輪出場枠を獲得した。日本馬術連盟(Japanese Equestrian FederationJEF)は5日、法華津を代表選手として正式に決定した。

「やはり、続けることでしょうね。それにある程度の必要な筋力トレーニングを欠かさないことでしょうか。でも、この年になると、あんまりムキになってやらないようにしている」。太平洋戦争が開戦した1941年生まれの法華津は、ロンドン五輪を71歳4か月で迎えることになる。

 五輪の史上最高齢出場記録保持者はスウェーデンのオスカー・スバーン(Oscar Swahn)。射撃で銀メダルを獲得した1920年のアントワープ五輪出場時には、72歳10か月だった。この五輪史上最年長出場記録に今にも手が届く法華津だが、引退を考えたことはない。

 長寿国として有名な日本において、自らを「爺(じじ)の星」と称する法華津は、44年ぶりの五輪出場を果たした北京五輪では、馬場馬術個人34位、団体9位の成績を収めた。この時の法華津の年齢、67歳4か月は大会出場選手の中で最年長となった。

 日本人選手としては、63歳9か月で1988年ソウル五輪に出場した馬術の井上喜久子(Kikuko Inoue)を抜き、史上最高齢出場記録を更新した。

 法華津はロンドン五輪出場を、夏休みの林間学校から始まった約60年にわたる乗馬人生の「節目」だと位置づけている。

 米製薬会社大手のグループ企業の社長を務め、2003年の定年退職後に活動拠点をアーヘンに移した。「節目は節目でしょうね。あんまり先のことは言えないんですけど。(五輪後)そのまま辞めてしまうということは、おそらくないでしょうね。きっとね」

 東京五輪の馬術障害飛越で五輪初出場を果たした後、法華津はより風格のある馬場馬術に転向した。馬と騎手の一連の動作に得点が与えられ、騎手の合図に馬がどれだけ反応して動いているかを評価する馬場馬術は「馬のバレエ」とも評されており、馬術障害飛越よりも体力を必要としない。

 1984年ロサンゼルス五輪では補欠に選出されたものの出場機会がなく、1988年ソウル五輪では検疫で愛馬に問題が見つかったため、参加を見送った。

 2010年に米ケンタッキー(Kentucky)州レキシントン(Lexington)で行われた世界選手権では、ウィスパー号が会場の大きなスクリーンに映し出された映像に動揺してしまったため、第2ラウンドで31位に終わり、上位15名で行われる自由演技(グランプリ・フリースタイル)の決勝に進出できなかった。「繊細なんですよね。気性が荒いというか、神経質というか。欧州に強豪がいっぱいいるから、あんまり大きなことは言えないが。こないだの世界選手権よりも、もう少し上にいければいいなと思っている」

 この世界選手権後にウィスパー号が両前脚を負傷したため、法華津の道のりは険しいものになったが「馬が急に、奇跡的に回復してくれた。馬の調子が悪い時、馬に乗り移られたみたいに(わたしの)首が痛くなったり、腰が痛くなったりした」と振り返った。

 そして、その後ウィスパー号は6大会に出場し、フランスでの選考会で優勝した。「本当に馬に感謝するとともに、いつもよりもずっと喜びが大きいです」(c)AFP/Shigemi Sato