【3月3日 AFP】米プロバスケットボール協会(NBA)でウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)氏が1試合100得点を記録してから50周年を迎えたが、伝説的記録は今も破られずに残っている。

 1962年3月2日、米ペンシルベニア(Pennsylvania)州ハーシー(Hershey)で行われたニューヨーク・ニックス(New York Knicks)とフィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズGolden State Warriors)の試合で、当時ウォリアーズに在籍していたチェンバレン氏は63本中36本のフィールドゴール(FG)、32本中28本のフリースローを成功させ、1試合100得点を記録した。

 チェンバレンの神がかり的な記録は観衆4124人の前で達成されたものの、当時の試合の様子を収めた映像や写真は残っておらず、現存するのは試合後に「100」の数字が記された紙を手にポーズをとるチェンバレン氏の写真だけとなっている。

 フィラデルフィア・セブンティシクサーズ(Philadelphia 76ers)は、ウォリアーズをホームに迎えた2日の試合で、インターネットが存在しなかった時代に達成されたチェンバレン氏の偉業を称える式典を行った。

 ハーフタイムに行われた式典には、チェンバレンの家族をはじめ、ウォリアーズ時代のチームメイトであるアル・アトルス(Al Attles)氏らが出席した。

■ウォリアーズとセブンティシクサーズで活躍

 セブンティシクサーズとウォリアーズは、チェンバレン氏を語る上で欠かすことのできない存在だ。

 1962年にウォリアーズがフィラデルフィアからサンフランシスコ(San Francisco)に移転したことを受け、セブンティシクサーズの前身であるシラキューズ・ナショナルズ(Syracuse Nationals)は、本拠地をフィラデルフィアに移し、チーム名をフィラデルフィア・セブンティシクサーズに改名した。

 ウォリアーズとともにサンフランシスコへ引っ越していたチェンバレン氏は、1965年にトレードでセブンティシクサーズに移籍し、再びフィラデルフィアに舞い戻った。

 その後、ロサンゼルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers)に移籍したチェンバレン氏は、現役時代にシーズン最優秀選手(MVP)に4度輝き、オールスターゲーム出場13回、NBAファイナルを2度制覇という記録を残し、1999年に心臓発作で亡くなった。63歳だった。

■今後の100得点突破の可能性は

 年が経つにつれ、NBAでの1試合100得点達成への期待感は薄れている。

 2006年1月22日のトロント・ラプターズ(Toronto Raptors)戦で1試合81得点を記録したレイカーズのコービー・ブライアント(Kobe Bryant)は、「誰かが記録を破る。僕らの世代や、次の世代ではおそらくないかもしれない。でも、いつかは破られる」と語った。

 一方、他の選手は記録が破られることに懐疑的だ。

 2007年のニックス在籍時にマイアミ・ヒート(Miami Heat)戦で52得点を挙げたジャマール・クロフォード(Jamal Crawford)は、「スカウティングレポートが発達し、選手のプライドとチームの守備力が高くなっている。一人で100得点を挙げることは困難だ。現在は40から50得点ぐらいが基準になる」とコメントしている。

 シカゴ・ブルズ(Chicago Bulls)で活躍したマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)氏でさえ、1試合最多得点記録は69得点にとどまっている。

 1978年4月9日のデトロイト・ピストンズ(Detroit Pistons)戦で73得点を記録したデヴィッド・トンプソン(David Thompson)氏は、「1試合100得点なんてクレイジーだ」と語っている。(c)AFP