【12月19日 AFP】変わり者でプレイボーイと風刺されてきた北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル、Kim Jong-Il)総書記(69)は、巧みな政治手腕で飢饉(ききん)や経済の衰退をよそに残忍な体制を維持し続けた、非情な統治者だった。

 17日死去した金総書記は、プロパガンダや収容所、父の故金日成(キム・イルソン、Kim Il-Sung)国家主席から継承した個人崇拝、大規模な軍事力などを背景に、権力基盤を固めてきた。1990年代初頭には、計画経済がシステムの矛盾と旧ソビエト連邦からの支援の枯渇から弱体化し体制崩壊の臆測が広がったが、金総書記は体制を維持してのけた。

 90年代半ば~末にかけては推計100万人が死亡したとされる飢饉に見舞われながら、なお核開発計画を進められるだけの資源を確保して、06年10月と09年5月に核実験を実施した。深刻な食糧不足は現在も続いており、国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)は子どもの3分の1が栄養失調による発育不良になっていると推測している。

■健康悪化で地域情勢が不安定に

 核兵器・ミサイル開発計画に対する制裁と、国内経済の不安定で体制への圧力がますます高まる中、金総書記の健康悪化によって、危険の多い権力移譲の動きが加速した。金総書記は08年8月に脳卒中で倒れ、報道によれば透析の必要な腎不全や糖尿病、高血圧にもなっていた。

 専門家らは、金総書記の下す決定がどんどん常軌を逸したようになっていったと指摘する。脳卒中の後遺症や、後継者と目される三男の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)氏の実績を固める目的とみられるという。

 10年3月の韓国軍艦沈没事件では、北朝鮮の犯行だと批判した米国の制裁強化と韓国の報復を受けた。同年11月には、黄海(Yellow Sea)の韓国・延坪島(Yeonpyeong Island)を砲撃。1950~53年の朝鮮戦争以降初の民間人居住区への攻撃で韓国海兵隊員2人、民間人2人が死亡した。

 米韓は、正恩氏が強大な軍事力を背景に後継者の地位を確実にしようしており、予測不可能な危険性が高まっていると警告を発していた。

■「聖地で出生」「美食家のプレイボーイ」

 まるで聖人伝めいた北朝鮮政府の公式発表によると、金正日氏は1942年2月16日に聖地・白頭山(Mount Paekdu)で誕生したとされる。ただ、専門家らによれば金正日氏が生まれたのはロシア国内の反日ゲリラ宿営地だった。41年誕生説もある。

 64年に大学を卒業。朝鮮労働党で出世階段を駆け上がった。80年に後継者に指名されたが、94年に金日成国家主席が死去してから3年後の97年まで、公式には最高指導者の地位に就かなかった。

 訪朝した人や脱北者らは、金総書記の人物像について、コニャックをがぶ飲みするプレイボーイで外国映画に目がなく、美食と女性を好むと説明する。ハリウッド映画2万本のコレクションを所有。78年に韓国の映画監督とその妻の女優が拉致された事件も、金総書記が立案したとされる。

■大韓航空機爆破事件などに関与

 このほかにも金総書記は、韓国人17人が死亡した83年のビルマ(現ミャンマー)での爆破事件や、115人が死亡した87年の大韓航空機爆破事件への関与が指摘されている。

 最高指導者に就任した後は、徐々に国際社会との接触を進めた。2000年6月に平壌(Pyongyang)で韓国の金大中(キム・デジュン、Kim Dae-Jung)大統領(当時)との歴史的な首脳会談を行ったほか、マドレーン・オルブライト(Madeleine Albright)米国務長官(当時)も同年訪朝し、金総書記を情報通で「妄想家ではない」と評した。

 だが、核問題をめぐり02年に米国との交渉が暗礁に乗り上げて以降、西側との関係は悪化。09年、北朝鮮は6か国協議を中止し、核兵器開発を進めることを宣言した。(c)AFP/Simon Martin

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