【10月24日 AFP】米国のジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)前政権下で国務長官を務めたコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)氏が、次週発売される回顧録『No Higher Honor(最高の栄誉)』の中で、ディック・チェイニー(Dick Cheney)前副大統領との確執や、ハリケーン・カトリーナ(Hurricane Katrina)来襲の際に休暇から戻らなかったことへの後悔などを綴っている。

■特別軍事法廷めぐり「辞任」迫る

 23日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)は、ライス前長官が国家安全保障問題担当大統領補佐官だった2001年末、「テロとの戦い」での被拘束者を裁く特別軍事法廷に関する重要な意志決定から外された際に、自分は辞任すると言ってブッシュ大統領(当時)に迫ったエピソードを紹介した。

 キューバのグアンタナモ湾(Guantanamo Bay)にある米海軍基地内施設に収容していた被拘束者の扱いをめぐり、ホワイトハウスではライス氏とチェイニー副大統領(当時)が衝突を繰り返していた。ブッシュ政権2期目に国務長官を務めたライス氏は、11月1日に米出版大手クラウン・ブックス(Crown Books)から発売される回顧録の中で、チェイニー副大統領とその側近らのことを「極度のタカ派」と表現している。

 01年11月、アルベルト・ゴンザレス(Alberto Gonzales)大統領法律顧問(当時)が用意した特別軍事法廷を承認する大統領令を、ブッシュ大統領が自分に断りなく発令したことを知ったライス氏は大統領の元へ出向き、「次に同じことが起きれば、アル・ゴンザレスかわたしか、どちらかが辞めねばならないだろう」と言った。ブッシュ大統領はライス氏に謝罪したという。

 NYT紙によると、チェイニー氏とライス氏の緊張が最も高まったのは06年で、9.11同時多発テロの主犯格とされたハリド・シェイク・モハメド(Khalid Sheikh Mohammed)容疑者などテロ容疑者を米国外の秘密の場所に拘束していることを、対外的に認めるべきだとライス氏がブッシュ大統領に進言したときだった。ブッシュ大統領はライス氏の言葉に同意し、これがグアンタナモ基地への容疑者移送につながった。

■観劇をすっぱ抜かれたハリケーン・カトリーナ

 ライス氏はまた、05年8月末に米メキシコ湾岸をハリケーン・カトリーナ(Hurricane Katrina)が直撃した際、ニューヨークで観劇や買い物を楽しんでいたことを後悔している。米政治専門サイトのポリティコ(Politico.com)はこの部分を紹介している。

 ニューヨークで短期休暇中だったライス氏は「カトリーナという名のハリケーンが迫っていて、緊急警報が出ていた点については深く考えていなかった」と記している。マイケル・チャートフ(Michael Chertoff)米国土安全保障省長官(当時)に電話をかけ、緊急事態の際の協力を申し出はしたが、「電話を切ると、着替えて『Spamalot』(ブロードウェーのヒット・ミュージカル)を観に行き」「翌朝は、宿泊していたホテルの隣のブロックにあったフェラガモに靴を買いに出かけた」という。

 しかし、事態が思った以上に深刻なことが明らかになったため、ライス氏はブッシュ大統領にワシントンD.C.へ戻ると電話で連絡した。「テレビの画面はニューオーリンズ(New Orleans)から届いた壊滅的な映像でいっぱいだった。そして、そこで苦しんでいる多くの顔は黒人だった。すぐに、ワシントンから離れるべきではなかったと悟った」。電話を切った数分後、側近がやってきて、ある政治専門サイトに掲載された記事の見出しをライス氏に告げた。―─「目撃:メキシコ湾岸受難の夜、『Spamalot』に大受けのライス長官」

「判断の甘さを悔やんでも悔やみきれなかった。わたしは外交に責を負う国務長官であるだけでなく、政権内で最も高位の任に就く黒人であり、大統領の主要な助言者の1人でもあったのだ。一体、自分は何を考えていたのか、と」

「振り返ると、あのハリケーン後の処理が、やがてブッシュ政権を飲み込んでいった悪循環の始まりだった。認識と実際の両面において、多くの誤りを犯した。あの(カトリーナの)危機における自分の役割と責任について、後になってからしか理解できなかったことに、今でも激しく自責の念を感じる」 (c)AFP

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