【7月6日 AFP】9日に独立する「南スーダン共和国」の首都、ジュバ(Juba)は、20年以上に及んだ内戦で疲弊しきった街だ。白ナイル川の高温多湿な河岸に広がる街には、ブリキ板でこしらえた掘っ立て小屋が立ち並ぶ。道路はたいてい、舗装されていないでこぼこ道だ。

 それでも、商業の中心地コニョコニョ市場の薄汚れた路地に建築資材の店を構えているウィリアムさんは、誇らしげだ。「ジュバはワシントンやロンドンのようではない。ハルツームやカンパラやナイロビにも劣るかもしれない。それでも新生国家の首都なんだ。誇りに思うよ。この国はまだ赤ん坊だが、われわれがゼロから作り上げていくんだ」

 ジュバは内戦で荒廃したとはいえ、近年、国際援助やオイルマネーに目を付けた起業家や職を求める人々がケニアやウガンダなどの近隣諸国から大量に流入するようになった。

 内戦中に北部へ避難した人々や内戦中にキューバに送られて教育を受けた「キューバン・ジュバン(キューバのジュバ人)」たちの帰還が進む一方で、紛争が続くダルフール(Darfur)地方や前月に北部政府軍とスーダン人民解放運動(SPLM)の戦闘が再燃した南北境界の南コルドファン(South Kordofan)州から避難してきた人も多い。ソマリアの内戦、エリトリアの強権体制による弾圧、コンゴ(旧ザイール)の紛争などから逃れてきた難民たちの避難所にもなっている。
 
 ジュバで仕事を得る難民もいる。ソマリアの首都モガディシオ(Mogadishu)から逃れてきたユスフさんは、今年1月に南部独立の是非を問う住民投票が行われた際に暴力を恐れて北部に戻った商人から店を買い取り、商売をしている。「ジュバはモガディシオよりはるかにいいよ。困難な時もあるけど、儲けは大きいしね」

■コンテナを改造したホテルも出現

 内戦時、反政府勢力に包囲されていたジュバは守備隊が駐屯する小さな街だった。だがその後、急速に拡大し、広大な土地に推定人口30万人を擁する都市に発展した。いまだに電気や水道などの基本的なインフラさえ整備されていないが、内戦が6年前に終結して以来、そこかしこに大きな改善が見られる。

 例えば、支援団体の職員や外交官は以前はテントに寝泊まりしなければならなかったが、今ではコンテナを改造したホテルがある。建設ブームにも沸いている。新たな橋が建設され、主要道路はアスファルトで舗装されつつある。街路灯の設置も進められている。建設ブームは、レバノン人商人、中国の建設会社、米国の警備会社、国際NGOや国連職員など、世界中から種々雑多な人々をジュバに引き寄せている。

 南部の状況は完璧とは言い難い。人口の85%が読み書きができないなど、教育が立ち遅れていることが大きな障壁となっている。また、零細企業でさえ、外国人が経営している場合が多い。

 だが、南スーダンのバルナバ・マリアル・ベンジャミン(Barnaba Marial Benjamin)情報相は、ジュバではなんぴとも歓迎されると強調した。

「われわれは長年、内戦を逃れてケニア、エチオピア、ウガンダなどへ向かわざるをえなかったが、現地の人々はわれわれを歓迎してくれた。今度はわれわれが歓迎する番だ」

(c)AFP/Peter Martell