【11月30日 AFP】米上院外交委員会は、2001年末に米軍が国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の指導者ウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者の捕捉寸前にまで迫りながら、当時のドナルド・ラムズフェルド(Donald Rumsfeld)米国防長官が増派要請を却下したために、ビンラディン容疑者を取り逃がす結果となったとする報告書を30日付でまとめた。

 バラク・オバマ(Barack Obama)大統領は近く、米軍攻撃から9年目を迎え依然混乱が続くアフガニスタンに駐留する同軍3万4000人の増派を発表する見込みだが、これを前に民主党のジョン・ケリー(John Kerry)上院議員が委員長を務める外交委がまとめた報告書は、ラムズフェルド前長官を名指しで批判する内容となっている。

「トラボラ再検証:米国がビンラディンの身柄確保に失敗した経緯と、その今日への影響」と題された報告書によると、米軍は2001年12月、ビンラディン容疑者をアフガニスタン東部の山岳地帯トラボラ(Tora Bora)の洞窟まで追い詰めていた。ビンラディン容疑者も死を覚悟し、遺書まで残していたという。

 だが当時、現地入りしていた米特殊部隊は100人にも満たなかった。このためビンラディン急襲と、パキスタンに通じる退路を防ぐための援軍を要請したが、大量の米軍投入は地元住民の反米感情を高め、米軍の任務遂行を損ねるという理由で、いずれもラムズフェルド前長官と側近のトミー・フランクス(Tommy Franks)中央軍司令官(当時)に却下された。

 報告書では「狙撃部隊から海兵隊や陸軍の最も機動力のある部隊まで、米軍が要する豊富な軍事力はかやの外に置かれ、司令部は空爆と訓練の未熟なアフガニスタンの民兵組織にその役を委ねた」と批判している。

 その結果、ビンラディン容疑者は遺書を書いた2日後の12月16日前後に、護衛らとともにトラボラを支障なく脱出。パキスタン側の部族地域に逃げ込んだ。多くの専門家は、同容疑者は今日もこの部族地域に潜伏しているとみている。

 フランクス元中央軍司令官やディック・チェイニー(Dick Cheney)前副大統領らはこのときの判断を擁護し、ビンラディンの潜伏場所に関する情報はつかめていなかったと語ってきた。

 しかしケリー上院議員は報告書の序文で、新たな証拠や過去の記録、前政権の機密文書などの検証や、関係者への聞き取り調査の結果、ビンラディンのトラボラ潜伏はしっかり把握されていたとし、前政権関係者のこれまでの発言をはねつけた。

 また序文では、2001年9月11日の米同時多発テロ事件から1か月経たずしてアフガニスタンを攻撃した際の目標は明確に、アルカイダの壊滅とビンラディンの捕捉だったが、同年末にこの任務を完遂できなかったことで、ビンラディンがテロリズムの象徴となって、資金や人がひきつけられるきっかけを作り、「アフガニスタン情勢、ひいては国際テロの道筋を変える機会は永遠に失われてしまった。それが今日、米軍や同盟軍を危機に陥れているのみならず、地域全体の不安定化要因となっている」と指摘している。(c)AFP/Andrew Gully