【8月12日 AFP】第2次世界大戦中の大半の期間に首相だった東条英機(Hideki Tojo)陸軍大将が、米軍による広島・長崎への原爆投下後も、降伏は屈辱だと考え、戦争継続にこだわっていたことが発見された手記によって12日明らかになった。

 東条元首相は、米国が第2次世界大戦に参戦するきっかけとなった1941年の真珠湾(Pearl Harbor)攻撃を命じた開戦時の首相。1944年、戦局が不利となる中、辞任に追い込まれた。極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁かれ、1948年に戦犯として絞首刑に処せられた。

 終戦の日を15日に控えた12日の日本経済新聞(Nikkei)は、終戦直前の数日間に東条元首相が書き残した手記が発見されたと報じた。同紙によると東条元首相は「その最後の一瞬においてなお帝国として持てる力を十二分に発揮することをなさず敵の宣伝政略の前に屈しこの結<一字空き>を見るに至る」「国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ」と当時の指導者や国民を批判している。

 また政府の降服について、「新爆弾に脅(おび)え、ソ連の参戦に腰をぬかし一部条件を付し在りといえども、全く『敗戦者』なりとの観念に立ちたる無条件降服を応諾せり」との印象は、敗戦状況に拍車をかけると警告している。

 戦争の目的については、「東亜安定と自存自衛を全うすることは大東亜戦争の目的なり」と記し、「幾多将兵の犠牲国民の戦災犠牲もこの目的が曲りなりにも達成せられざるにおいては死にきれず」と書き残している。

 日本は米英中が無条件降伏を要求したポツダム宣言(Potsdam Declaration)を受諾した。東条元首相は「御聖明を乱すは恐懼(きょうく)に堪えざる」と記し、別の所見を持ちながらも終戦の決定を受け入れたとしている。東条元首相は終戦直後、進駐した米軍に拘束される前に自殺を図ったが一命をとりとめた。(c)AFP