【Phu Khieo/タイ 20日 AFP】わらぶき屋根の小屋の中に座って水田とサトウキビ畑を見下ろしながら、Ornta Laokamさん(77)はタイの風景がまだ深い森に覆われていた頃のことを語った。森で「幽霊」たちと交流できた頃のことだ。

 Orntaさんが生まれたのはまだシャム王国の時代。川や運河が主要交通路の役を果たしており、地方には水田の代わりに深いジャングルが広がっていた。カンボジア国境に近い故郷のスリン(Surin)周辺の森林で、Orntaさんは祖父と父から植物や川、肥沃な土に住む霊の見つけ方を習った。霊の多くは悪意のない精霊で、「天使」もいたが、中には生きている者を苦しめるため捕まえなければならない霊もいた。Orntaさんが目指したのがこの「ゴーストハンター」だった。「どうやったらいいのか、習い始めたのが17歳のときでした」。

 最初に秘伝を教えてくれた祖父と父から習うことがなくなると、Orntaさんは友人について国境を越え、カンボジアの小村で会った霊能者から、霊を追い払って人の生命を救うための古代の呪文を習った。しかし、Orntaさんは悪霊払いにとって最も大切なことは、仏教の5戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)に従って暮らすことだと語る。悪霊と戦うとき、5戒のみが自らの魂を純粋に保つ秘訣だという。

 カンボジアで悪霊払いについて学んだ後、Orntaさんはタイへ戻り、北東部のイサーン(Issan)で大工とほかの仕事を組み合わせて規則正しい暮らしを始めた。

■街の隅々にまで霊が住むタイ

 約50年前に妻と出会い、Orntaさんは現在住むイサーン地方中部のPhu Khieo村へ移動したが、当時は追いかけるべき霊がたくさんいた。

 タイの人々は自然のさまざまなものから、船や家にまで霊が存在していると信じている。鉄筋コンクリートとガラスの高層ビルが立ち並ぶ首都バンコク(Bangkok)の中心街でも、建物を守る霊に供え物をする小屋が建てられている。バンコクには幽霊屋敷もあるが、たいていの霊は悪意がなく、その場から去らせるには強力すぎる古い霊か、突然死した人や悲惨な死に方をした人の霊だという。2004年のスマトラ沖地震によるインド洋大津波の後には、死者の霊を慰め来世に行けるよう、タイの仏教僧らは1年以上を費やして清めの儀式を行った。

■ジャングルに逃げ込んだ霊たち

 霊が身近に存在してきたタイでも、過去20年間で近代化とグローバリゼーションが進行して地方の景観にも変化が及ぶと共に、人々とジャングルの関わりも薄らいできた。農村から都市部へと人々が流出すると共に、 Orntaさんの元に舞い込む悪霊払いの依頼も減った。「開発が進むほど、霊は少なくなってきました。人々が木を切りすぎたため、霊たちはジャングルのもっと奥深くへ逃げるしかなかったのでしょう」。

 Orntaさんは生計のために、悪霊払い以外に農業を始め、今はキュウリやトウモロコシ、豆の栽培を生活の手段にしている。しかし農業による収入だけでは十分ではないため、人々が自宅近くの精霊を守るために木に掛けるお守りや社を作って補っている。悪霊払いの技を頼りに訪ねる人も時々現れるが、4人の娘たちに継がせる職業としては収入が低すぎる。しかしOrntaさんは実は、孫のうちの誰かが自分の技を学びたいと言ってくれるのではないかと期待する。「霊は少なくなっているとはいえ、霊について知っているというのは便利なことだと思います。霊は死なない、と思ういますからね」。

 写真はタイ北部の村Phu Khieoで13日、AFPの取材に応じる悪霊払いOrnta Laokamさん。(c)AFP/PORNCHAI KITTIWONGSAKUL