【6月12日 AFP】現在のネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)氏に対するあまりの賛美ぶりに、何十年間にもわたって多くの政府や現支持者たちの一部から、同氏がテロリストとみなされてきたことは忘れられがちだ──。

 反アパルトヘイト(人種隔離)運動の英雄は、2008年まで米国のテロ監視リストにその名前が掲載されていた。また英国の「鉄の女」、故・マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)元首相は、マンデラ氏がまだロベン島(Robben Island)に拘禁されていた頃、マンデラ氏のアフリカ民族会議(African National CongressANC)を「典型的なテロリスト組織」と呼んでいた。

 マンデラ氏のイメージがこれほどまでに徹底的に変わったのは同氏の業績の証だろう。だが同時に、ロンドン(London)で25年前の今週に開催されたあるコンサートが影響した部分も少なからずある。

 コンサートのオーガナイザー、トニー・ホリングスワース(Tony Hollingsworth)氏にとって、1988年6月11日にロンドンのウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)で開催されたコンサートは、マンデラ氏の70歳の誕生日とは──そのように宣伝はしたものの──ほぼ無関係なものだった。

 88年のコンサートは、マンデラ氏からテロリストというレッテルを取り払い、マンデラ氏の釈放を確実なものにしようということに全てがあった。

「刑務所からテロリストとして出所することはできない。だが黒人指導者としてなら刑務所から出てこれる」と、ホリングスワース氏は南アフリカのヨハネスブルク(Johannesburg)訪問時に、AFPの取材に語った。

■「マンデラ氏をポジティブなものに」

 現在55歳のホリングスワース氏は当時、マンデラ氏の公衆のイメージを犯罪者から英雄に変え、そのことで政府により寛容な立場を取るよう働きかけられるような、スターミュージシャンをちりばめたコンサートを心に描いたという。

 ホリングスワース氏は、英国の反アパルトヘイト運動を率いたトレバー・ハドルストン(Trevor Huddleston)大主教に面会し、自らの音楽戦略を売り込んだ。

「私はトレバー氏に対し、ANCと反アパルトヘイト運動はガラスの天井に突き当たった、もうこれ以上先に進めないと伝えた」

「あなたのしていることは全て『アンチ』だ。あなたは路上で抗議行動をしているが、それ以上は広がらないだろう。多くの人が同意をしてくれるかもしれないが、(このままでは)彼らにアピールすることはできないだろう」

「マンデラ氏とその運動は、何かポジティブで自信あふれるものとして、そして自宅のリビングルームに置いておきたいものとして見られるべきだ」

 ホリングスワース氏がアーティストらとの交渉を進める中、英国の反アパルトヘイト運動のロンドン支部長マイク・テリー(Mike Terry)氏は、反アパルトヘイト運動内における懐疑派やANCと交渉していた。

 マンデラ氏本人を含め、マンデラ氏個人に焦点を当てるべきではないとの反対もあった。また多くがアパルトヘイト体制への制裁に焦点を維持するべきだと主張した。

■「黒人テロリスト」から「黒人指導者」へ

 最終的にテリー氏はANCを説得し、ホリングスワース氏はシンプル・マインズ(Simple Minds)、ダイアー・ストレイツ(Dire Straits)、スティング(Sting)、ジョージ・マイケル(George Michael)、ユーリズミックス(Eurythmics)、エリック・クラプトン(Eric Clapton)、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)らを説得し、83アーティストの参加をまとめた。

 そうそうたるミュージシャンの出演決定を受け、11時間以上のテレビ放送の契約も決まった。

「テレビ局のエンターテインメント部門と契約を結んだ。その部門のトップは、帰宅して自分の局の番組を見ていたら、マンデラ氏をテロリストと呼んでいたから、すぐにニュース部門に連絡したと言っていた。この男をテロリストと呼ぶな。この男を称える11時間番組の契約をしたばかりだってね」

「われわれはこのようにして、マンデラ氏を黒人テロリストから黒人指導者に変えたのだ」

■世界70か国近くで放送、5億人が視聴

 ウェンブリーのコンサートは約70か国で放送され、世界中の5億人が視聴した。今でもエンターテインメントイベントとしては史上最大規模の視聴者数を記録した番組の1つだ。

 一部放送局からは政治色を薄くするよう要請があったが、それでもなお、メッセージは届いた。

 コンサートは、歌手のハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)による熱を帯びた称賛で幕を開けた。「われわれは偉大な男を称えるために今日ここにいる。その男はネルソン・マンデラだ」

「最初のコンサートの前は、ネルソン・マンデラ氏の即時釈放は完全に非現実的に思えた」と、テリー氏は後に振り返っている。

「しかしその20か月後、マンデラ氏は釈放された。最初のコンサートが決定的な役割を果たしたことを私は疑っていない」

 マンデラ氏はその後、白人至上主義体制の終結に向けて交渉を進め、南アフリカに全人種参加の選挙を実現した。

 実はこのコンサートが開催されたのが、7月18日のマンデラ氏の誕生日の1か月ほど前だったことに気づいた者は、あまり多くなかったという。(c)AFP/Jaime Velazquez