【11月14日 AFP】ネパール西部の先住民族クスンダのギアニ・マイヤ・セン(Gyani Maiya Sen)さん(76)は、自分が死の間際に発する言葉が世界で最後のクスンダ語になるのではないかと心配している。

 センさんはAFPとの電話インタビューでこう語った。「母語ではもう誰とも話せなくなってしまった。母親とは(クスンダ語で)話していたけれど、1985年に母が亡くなってからは私1人です」

 しかし華奢で骨ばったこの女性が今、世界中の言語学者たちの新たな注目を集めている。起源が不明で独特の構文を持つクスンダ語は、長年にわたり専門家たちを悩ませてきた。学者たちは今、センさんが亡くなった後もクスンダ語を後世に残す方法を模索している。

 かつて森の中で狩猟生活を送っていたクスンダの人びとは、現在では全体で100人程度しか残っていない。センさんはネパール西部ダン(Dang)郡の地元当局が建てたコンクリート製のバンガローで余生を送っている。

 中国とインドに挟まれたネパールには、100を超える民族が暮らしている。これら民族はそれぞれ異なった言語を話すが、言語学者によるとこの数十年でその中の少なくとも10言語が消滅した。国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)はネパール国内で話される言語のうち61言語を「消滅危機」に、クスンダ語を含む6言語を「消滅寸前」に分類している。

 首都カトマンズ(Kathmandu)にあるトリブバン大学(Tribhuvan University)のマダブ・プラサド・ポカレル(Madhav Prasad Pokharel)教授(言語学)は「言語は文化の一部。消滅すれば、話者は自分たちの遺産や歴史だけではなく、アイデンティティーも失うことになる」と語る。ポカレル教授によると、クスンダ語は世界中のどの言語とも近縁関係になく他言語の影響も受けていない「孤立言語」と呼ばれる言語の1つ。

 クスンダ語には最近までもう2人の話者がいた。プニ・タクリ(Puni Thakuri)さんとその娘のカマラ・カトリ(Kamala Khatri)さんだ。トリブバン大学は10年前、タクリさんとカトリさんを招き、クスンダ語を記録・保存するプロジェクトを開始したが、資金が底を付き中止に追い込まれた。タクリさんは2年前に亡くなり、カマラさんは仕事を求めてインドへ移住したため、残されたクスンダ語の母語話者はセンさん1人になってしまった。

 そのプロジェクトに新たな息吹を与えたのはポカレル教授の教え子、ボジラジ・ゴータム(Bhojraj Gautam)氏だ。ゴータム氏は数か月かけてセンさんが話すクスンダ語を録音し、その過程で基礎的なクスンダ語を話せるようになった。

 オーストラリア研究会議(Australian Research Council)が資金援助するこのプロジェクトの一環として、ゴータム氏はすべての言葉を書き留めており、ゆくゆくはクスンダ語の辞書と文法書としてまとめたいと話している。

 最初は誤ってチベット・ビルマ語派に分類されていたクスンダ語には3つの母音と15の子音があり、その言葉にはクスンダの人びとの歴史や文化が反映されている。「彼らは自分たちのことを『トラ』を意味する『myahq』と呼ぶ。自分たちを森の王だと思っているからだ」(ポカレル教授)。またクスンダ語には「緑」を意味する言葉がない。森に囲まれて暮らしてきたため、「緑」に呼び名が必要なものとみなされなかったからだ。しかしこの数十年、クスンダの女性はよその民族に嫁ぎ、ネパール語を話す者も増えたため、クスンダの血筋と共にその言葉も滅びつつある。

   ネパールでは初の総選挙で成立した内閣をマヘンドラ国王(King Mahendra)が1960年に解散させ、その後30年にわたり政党のない独裁体制を敷いた。その間、ネパール語以外の言語の使用は抑圧された。

 その後、毛沢東主義派による10年に及ぶ武装闘争が終結した2006年になってマイノリティーの権利に再び焦点が当てられ、先住民の人びとは自分たちの言語や文化の保存に乗り出した。

 クスンダ語にとって時はすでに遅すぎたのかもしれない。だがポカレル教授は、消滅しつつあるネパールの他の言語を守るためには国の専門機関を設立する必要があると訴える。「母語話者でない人びとに言葉を伝えていくことが重要。それだけが言語を救う唯一の方法だ」(c)AFP/Deepak Adhikari