【8月23日 AFP】100年前に仏パリ(Paris)のルーブル美術館(Louvre Museum)から、イタリア人職人ビンセンツォ・ペルージャ(Vincenzo Peruggia)が、イタリア・ルネサンス期の名画「モナリザ(Mona Lisa)」を盗み出して100年目にあたる21日、モナリザ泥棒は「英雄だ」と称える劇がペルージャの故郷で上演された。

 伊ミラノ(Milan)の北にある町、ドゥメンツァ(Dumenza)。夏の演劇フェスティバルで上演された「ビンセンツォ・ペルージャの裁判」の監督、シモーネ・トファニン(Simone Toffanin)氏は「私たちはみな、ペルージャは愛国者だったと信じている」と断言した。

 ドゥメンツァ市のウェブサイトにあるペルージャの紹介でも、「盗人」という言葉にはかぎかっこが付けられ、「モナリザ」の事件についても「盗難」と呼ぶ代わりに、ルーブルからの「奪還」と表現しているが、コラード・ナツァリオ・モロ(Corrado Nazario Moro)市長は、ペルージャを英雄扱いすることにやや困惑気味だった。

■美術史上最大の盗難

 ルーブル美術館の大ギャラリーから「モナリザ」が消えたのは、1911年8月21日のことだった。

 夜明けと共に、当時30歳だった塗装職人ペルージャは、月曜で休館日だったルーブルに忍び込んだ。ペルージャは1年前に巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の名画「モナリザ」を保護するガラスケースの設置作業に加わっており、「モナリザ」がある場所も、絵画の外し方も心得ていた。

 やすやすと「モナリザ」を額から外したペルージャは、「モナリザ」を作業着のスモックの下に隠してルーブルを後にした。

 翌日、「モナリザ」が消えていることが分かると、ルーブルをあげての大騒ぎとなったが、必死の捜査にもかかわらず、捨てられた額縁以外には何も発見されなかった。警備の甘さを問われた当時の館長は解任された。

■詩人アポリネールも巻き添えに

 警察が複数犯による犯行だと確信し、国際犯罪組織を探るなど見当違いの捜査をしていた中で、あらぬ疑いを掛けられたのは、シュールレアリズムの詩人、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)だ。アポリネールは、1907年にルーブルからローマ時代の彫像を盗んだベルギー人と交流があったために、モナリザ窃盗の容疑者として逮捕された。8日後には釈放されたが、その後もしばらくこの一件から立ち直れなかったという。

 一方、真犯人のペルージャといえば2年もの間、「モナリザ」をパリ市内の自宅アパートに隠し持っていた。その後、イタリアの画商たちに宛てて、「わが国の誇りの象徴」を持っているという触れ込みで手紙を書き送った。トスカーナ地方の画商が、鑑定したいのでフィレンツェ(Florence)のホテルに絵を持ってくるようにとペルージャを招いた。1913年12月、「モナリザ」は本物であることが確認され、ルーブルに戻された。

 この時、ペルージャは母国イタリアに戻っていたことから、幸いにも裁判はフランスではなくイタリアで行われ、禁固1年余りという軽い判決で済み、さらに後に刑期は7か月に短縮された。

「モナリザ」を盗んだ動機について、ペルージャは裁判で「愛国心からの行動だ」と主張した。一方、ペルージャの精神鑑定を行った医師は、ペルージャは単純な人物で、自身が起こした行動の重大さに値するほどの深遠さはないと述べている。(c)AFP