【11月2日 AFP】追悼のことばや歌、泣きじゃくり慰め合う人々・・・デビッド・ツェン(David Tseng)さんの葬儀は、一見したところ台湾で行われるほかの葬儀とは違いがないように見える。本人がまだ生きていることを除いては。

 ツェンさんはまだ25歳だが、遺伝性筋疾患により、幼い頃から車いすでの生活を強いられている。治療法はなく、病気は末期に入っている。

「僕にはあとどれだけの日にちが残されているのかわからない。だから、死後の自分の体を医療研究に役立ててもらうという遺言を発表するためにも、自分のために『生前葬』をやろうと思ったんだ」とツェンさん。

 台湾では、末期の病気に見舞われた人が「生前葬」を行うケースが増えてきている。

 ツェンさんの生前葬は、「献体」として提供されることになっている高雄(Kaohsiung)市の医大で9月下旬に行われた。家族のほかに100人程度の医師、医学生が集まり、ツェンさんがあいさつに立った。「僕は長生きはできないかもしれないけれど、僕を気遣ってくれる多くの人々がいる。僕は大学を卒業し、本も書いた。僕の人生は決して無駄ではなかったんです」

 母親が涙をぬぐうなか、ツェンさんは続ける。「人生でいちばん大事なのは、どれだけ生きたかではなく、どのように生きたかです。わたしたちは、自分たちが持っている時間を大切にし、なにか良いことをすべきなんです」

■生前葬の利点

 「生前葬」の概念を広めた地元著名人の1人が、カトリック教会のポール・シャン(Paul Shan)枢機卿(85)だ。肺がんを患っているシャン枢機卿は2007年、「さよならツアー」と称して国内各地を回り、別れのスピーチを行った。

 生前葬を推進している慈善団体・周大観文教基金会(Chou Ta-Kuan Foundation)のChou Chin-huar氏によると、生前葬は講演会、コンサート、旅行、絵の展覧会などのかたちをとることがある。死後に通常の葬式を行わない場合もあるという。

 Chou氏は、こうしたことは死が近づきつつあることを知る人間にとっては有意義だと語る。「ほかの人々に知っておいてもらいたいことを声に出して言っておくことができるので、手遅れにならないうちに『最後の望み』を全うすることができる」

「まだ生きているときに(知人らから)追悼の言葉を聞くことで、人生の最後を楽な気持ちで迎えることができる」

■死に対する意識の変化の背景

 ツェンさんの父親も、Chou氏のこうした意見に同意する。というのも、生前葬のあと、ツェンさんは明らかに元気になったためだ。また、生前葬のことを聞きつけた多くの人々がツェンさんのもとを訪れたり、電話して励ましたりするなど、反響も大きく、ツェンさんにさらなる勇気と自信をもたらすこととなった。

 生前葬は、台湾がわずか2世代の間に伝統的な農業的価値観から成熟した近代社会へと移行するなか、死に関する話題がよりオープンになってきている事情を反映している。

 台湾では昔、「死」を連想させる言葉を言うだけで悪運がもたらされると信じられ、当人がまだ生きているうちから葬式の準備をすることはタブー視されていた。

 こうした変化について、南華大学(Nanhua University)のYang Kuo-chu教授は、台湾当局が相続紛争の削減を目指した計画を推進する一方、大学などでサナトロジー(死生学)が教えられることがより一般的になってきたことが背景にあると説明する。

 教授によると、生前葬には、病気の苦痛を和らげる、死に関するタブーを克服するなどのポジティブな面があるという。

 体重が23キロまで減り、ベッドの上で酸素マスクに頼る日々のツェンさん。病状は悪化しつつある。最後の瞬間を迎える用意はできていると話した。「後悔はない。いつ死が訪れても大丈夫。僕が逝ったら、家族のみんなには嘆き悲しむ代わりに、旅立ちを祝うカクテルパーティーを開いてほしい」(c)AFP/Amber Wang