【9月30日 AFP】約2600年前、ナイル(Nile)河畔で、ベッドに横たわった高貴な女性が止まらぬ咳に苦しんでいた。彼女の命を奪ったものは「結核」だった――。保存状態が極めて良い、紀元前600年ごろの第26王朝に生きた「Irtyersenu」のミイラの死因について、新たな証拠が30日の英学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。

 このミイラは、古代エジプトの最も有名なミイラの1つで、初めて科学的な解剖を行った英国の産科医アウグスタス・グランビル(Augustus Bozzi Granville)氏の名前をとって「グランビル博士のミイラ」とも呼ばれている。

 グランビル氏は1825年、その6年前にテーベ(Thebes)の墓地遺跡で発掘されたこのミイラの包帯を外し、解剖を行った。6週間の詳細な調査で、ミイラは女性で、腹部の皮膚に複数のしわがあり、かつては太っていたことがわかった。また、臓器は取り出されてはおらず、その大半は本来の場所に、無傷の状態で収まっていた。

 女性は出産経験があり、骨盤骨の薄さから50~55歳で亡くなったと推定された。グランビル氏が最も注目したのは、右の卵巣が大きくはれていたことだ。同氏はこれを「卵巣浮腫」と診断。これが死因だったと記録している。

 なお、ミイラの主は、ひつぎのふたに記されていたヒエログリフから「女主人(lady of the house)」を意味するIrtyersenuであることが明らかになった。

 このミイラはその後、大英博物館(British Museum)に売却され、1994年に残存する一部を使って2度目の解剖が行われた。病理学者によると、この卵巣の腫瘍は命を奪うほどのものではなかったことが判明したという。マラリアの可能性も指摘されたが、病理検査でその可能性は低いことがわかった。

 しかしながら、ミイラの胸郭は、胸腔に水がたまって危険な状態に陥る「肺胞内滲出」を示しているとの興味深い所見が提出された。

■新たな証拠

 英ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ(University College London)の研究チームは、ハイテク装置による死因分析を行った。保存状態の良いDNAの採取は難しいため、骨と軟組織からサンプルを採取し、これを液体クロマトグラフィーにかけて化学的な証拠を探した。

 すると、肺の組織と胸膜、横隔膜、大腿骨から、結核を引き起こすヒト型結核菌の細胞壁を示す生体指標が検出された。

 前回2回の調査で確認されている、脂肪が骨格筋の中に混じり込んでいる状態も、結核のような長く患う末期疾患の特徴と整合しているという。

 「古人類病理学」研究者らは以前、古代エジプトでは結核がまん延していたとの指摘を行っている。(c)AFP