【8月25日 AFP】米ニューヨーク(New York)ブルックリン(Brooklyn)のスタジオで、その芸術家は伸びをして情熱的にキャンバスを見つめたあと、そこに歯を立てる――。

 人間界の現代アーティストにも匹敵するとも言われるジャック・ラッセル・テリアのティラモック・チェダー(Tillamook Cheddar)、略してティリー(Tillie)の制作はこうやって始まる。

 歯の次は、爪だ。マイラーフィルムと真っ赤なベラム紙で覆われたキャンバスを「彼女」は激しく引っかく。

 作品を吟味するために、時々手を休める。気分が高揚して体は震え、目は輝き、舌はだらりと垂れている。そして1回うなり、1回吠えると、再び引っかき舐め始める。

 時にはひどく興奮して、そして時にはトランス状態になり、彫刻家と画家を含むそばにいる6人の人間と2匹の犬には気付いていないかのようだ。

 約20分後、ティリーのアシスタントだという飼い主のボーマン・ヘイスティー(Bowman Hastie)さん(40)が、できあがった作品を丁寧に取り上げる。

 マイラーフィルムとベラム紙をはがすと、キャンバスを縦横無尽に走る赤い線が姿を現す。

 初めてティリーが描く姿を見たという芸術家たちは驚愕する。「取りつかれていたようで怖かった」と言うのは、画家でコミックのイラストを描いているジュアン・ドー(Juan Doe)氏(36)。まだ乾いていないベラム紙を見ながら「素晴らしい作品だ」と感想を漏らした。

 彫刻家で商業写真家でもあるワード・ヨシモト(Ward Yoshimoto)氏(49)は「人間の2つの肺みたいだ!」と叫んだ。

■新人芸術家がうらやむほどのキャリア

 へイスティーさんが幼少期に好きだったチーズの名前を取ったというティリーは現在10歳。ニューヨークで売れずにがんばっている芸術家たちが夢に見るようなキャリアを持っている。

 トム・サックス(Tom Sachs)、ジョン・ケスラー(Jon Kessler)といった米国の有名芸術家とコラボした経験を持ち、作品は1000ドル(約9万4000円)以上はする。さらに最近フロリダ(Florida)州で個展を開いたほか、カナダ・オタワ(Ottawa)の動物アート展にも参加している。10月にはヨシモト氏とドー氏が経営するギャラリーが、パリのアート見本市で、人間の作品に並んでティリーの作品も展示する。

 しかし、ティリーは芸術家なのか?それとも、色の付いた紙をめちゃくちゃにして楽しんでいるだけなのだろうか?

■有名芸術家も一目置くティリー

 誰もが皆、ティリーの犬小屋をアトリエに変えるべきだと思っているわけではない。ニューヨークのビレッジ・ボイス(Village Voice)紙は、ティリーを簡潔に「でっち上げ」だと書いている。

 ティリーのファンだという人たちは、主要なオークションで100万ドル(約9400万円)以上の値を出すようなコンセプチュアリストの作品にとてもよく似ていると指摘する。

 またティリーの作品は、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)のような抽象表現主義者の作品や、実験的な芸術家がその潜在意識を表現しようとしたシュルレアリストの作品に例えられてきた。

 飼い主のヘイスティーさんは、芸術家ではなくライターの仕事をしている。ティリーが子犬の頃、便せんを裂き始めたときに、引っかいて描くことに対するティリーの情熱を見たという。

 ティリーが、絵を描くゾウ、チンパンジー、カメなど世界の動物アート界で頂点に立つにつれ、へイスティーさんは何か特別な事が起きていることに気付いた。

 有名なベルギーの芸術家ヴィム・デルヴォワイエ(Wim Delvoye)氏は、サザビーズやクリスティーズのオークションでも人気の米芸術家サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)氏とティリーを比較することができると話す。「トゥオンブリーのようだ。ただ、トゥオンブリーよりも上手だ」――デルヴォワイエ氏は初めてティリーを見たとき、こう語ったという。

 はっきりしているのは、ティリーはアートを楽しんでおり、他の犬やティリーの6匹の子どもたちはそうではないということだけだ。

■驚くべき集中力

 ドー氏は、ティリーの集中力は、芸術家たちが空想の世界へ飛び込む時に切望する「夢遊状態」に良く似ていると話す。「嫉妬してしまう。わたしがあんな風に集中するには、一生懸命がんばってすべての用意を整えなきゃならないのに。ティリーは本当に良く集中している」

 ヨシモト氏も、ティリーほど集中できるのは、ブルックリン大学(Brooklyn College)で芸術を学ぶ学生の中でも半数くらいだと語る。さらにその作品は一貫して興味深いという。「ティリーの絵画を世界中のどの美術館に展示しようとも、それを見た人は一言も声が出ないだろう」

 へイスティーさんによれば、人間の芸術ファンは、ティリーの作品を不快に感じることがあるという。ティリーの作品がティリー以上に漠然と描かれた高価なアートに似ていることがその理由かもしれない。

 アート界を堕落させることを狙ったへイスティーさん自身の策略ではないかと疑う人もいるという。「人々は見栄えに基づいて絵画を買うことはない。天才が描いたものが欲しいが、誰もイヌが天才だとは言いたくないんだ」

 ティリー自身がどう思っているのかは、知るすべもない。

 作品を描いて恍惚としたあとは、気持ちを沈める。へイスティーさんがチキンを一口与えると、その体はまだ震えている。

 そして人間たちがティリーの才能について議論を交わす傍ら、ソファーに寝そべって鼻をぼろぼろのおもちゃの中に埋める。

 そして身じろぎもせず、空中を見つめている。おそらく、良いアイデアが浮かんでいるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。(c)AFP/Sebastian Smith