【6月9日 AFP】ナチス(Nazi)・ドイツが第二次世界大戦終結時までに欧州に建設した強制収容所やゲットー(ユダヤ人強制居住区域)などの「迫害施設」の数は、これまで考えられていたよりもはるかに多く、その分布も欧州全域に及んでいたことが、米ホロコースト記録博物館(US Holocaust Memorial Museum)の調査で明らかになった。

 同博物館ではさまざまな言語で書かれ、世界中に分散しているナチスの強制収容所に関する資料を一本化するとともに、ナチスに迫害された人々が収容された場所の記憶を風化させない目的で、「Encyclopedia of Camps and Ghettos 1933-1945(強制収容所とゲットーに関する百科事典 1933-1945)」プロジェクトを立ち上げ、情報収集を開始。全7巻中の第1巻を7日に公表した。

 プロジェクトを指揮するジェファリー・メガーギー(Geoffrey Megargee)氏によると、当初は迫害施設の数は5000~7000か所と予想していたが、調査が進むにつれて数は膨れあがり、現在までに2万か所近くが確認されたという。

■第1巻の内容

 公開された第1巻によると、ナチスは、同党党首のアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が首相に就任した1933年、ドイツ国内で、「ナチス政権の実在・仮想の敵を拘束し虐待するための」強制収容所の建設に着手し、同年1年だけで、ナチス親衛隊(Waffen SS)や警察が運営する強制収容所の数は国内で100を超えるほどまでになった。

 第二次大戦が終結した1945年までに建設された強制収容所のなかでも悪名が高いのは、ポーランド南部のアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)で、110万人がガス室で処刑されたという記録が残っている。

 同事典によると、ナチスは政権を握った12年間で、強制収容所以外にも処刑場、ゲットー、強制労働キャンプ、捕虜収容所、再定住施設、安楽死センター、売春宿、刑務所といった迫害施設も建設した。

 ナチスと友好関係にあったフランス、ルーマニア、ノルウェー、イタリアの各国も、同様の施設を導入したとも証言されている。

 また、迫害の主な対象はユダヤ人だったが、ロマ民族、同性愛者、レジスタンスの戦闘員、捕虜、共産党員にも迫害は及んだという。

 百科事典の残り6巻の編集は、2018年までに完了する予定だという。(c)AFP/Shaun Tandon