【10月17日 AFP】黒死病(ペスト)をもたらした細菌がなぜあれほどの致死性を持ち、また何度にもわたって流行の波が到来したのだろうか。この謎にロンドン(London)の墓地で中世の遺体から採取された伝染病の病原体が光を投げかけた。

 12日の英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文によると、ペスト菌(エルシニア・ペスティス、Yersinia pestis)のDNAは、14世紀の欧州の人びとには免疫防御が全くなかったという点で、進化論的に言ってとても成功を収めた病原菌だった。

 一方で研究は、病原体が過去6世紀にわたって大きな遺伝的変化を起こしていないことも明らかにした。

 研究チームを率いた独テュービンゲン大学(University of Tuebingen)のヨハネス・クラウス(Johannes Krause)氏は、電子メールでの取材に、「黒死病は人類史上初めての伝染病の大流行だった。人類は(免疫学的に)経験がなく、この病気に適応できていなかった」と述べた。

 ペスト菌は1347年から1351年の間に中国からヨーロッパにもたらされ、約3000万人が死亡した。ヨーロッパのおよそ3人に1人が死亡し、当時の世界の人口の12人に1人近くが死んだことになる。これほどの比率で人類が死んだ病原菌やウイルスはいまだかつてない。

■あまり変化していない病原体

 この論文によると、特筆すべき点は、ペスト菌の最近の変異株が当時のペスト菌とほとんど変わっていないことだ。「再構築されたゲノムによると、ペストは現代の人類の伝染病の病原体の原型に近い」とクラウス氏は指摘する。「太古の伝染病の病原体に、現代の病原体の中で同じ状態で見つけられない部分はない」

 はるか昔の伝染病と現代の伝染病との間の深い類似は、変異によって毒性が増強されたことが、中世のペスト菌の致死性を高めたとの従来の説に疑問を投げかけている。

「伝染病は過去数千年にわたって、人間集団を選別する最大の源だった。変異によって感染しにくくなった人びとは生き延び、それにより(有益な)変異が広まったのかもしれない」と、クラウス氏は語った。

■社会環境、気候、動物の影響も

 黒死病の死者が増えた原因として他に可能性が高いのは、18世紀や19世紀と比較して当時の社会環境がはるかに劣悪だったことだ。貧困と栄養失調はまん延し、衛生学という発想もなかった。

 中世がいわゆる「小氷河期」だったことも、ペストのまん延を後押ししたかもしれない。多くの病原体と同じく、ペスト菌も寒い環境の方が早く広がることができるからだ。

 また、病原体を伝播する蚊やシラミなどの吸血昆虫を運ぶネズミも、死者を増やした原因かもしれない。事実、14世紀のヨーロッパ大陸全土に恐怖をまき散らしたのはクマネズミだが、現代において病原体を運ぶのはドブネズミの方である。

■世界へ伝播したペスト菌

 前年、ペスト菌の17株の系統樹の作成が行われた。

 この研究によると、ペストの初めての流行は2600年前の中国で起きた。ペスト菌はその後、交易路「シルクロード」を通じて中央アジアを越え、ヨーロッパに到達した。

 それからペスト菌は、おそらく中国の鄭和(Zheng He)の航海によって15世紀にアフリカ大陸に広がった。研究結果によれば、19世紀末には、ペスト菌は中国からハワイ(Hawaii)を経由してカリフォルニア(California)の港に着き、米国に到達したという。(c)AFP/Marlowe Hood