【3月23日 AFP】作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)の孫で、ワーグナー歌劇のみを上演する「バイロイト音楽祭(Bayreuth Festival)」の総監督を長年にわたって務めたウォルフガング・ワーグナー(Wolfgang Wagner)氏が21日、死去した。90歳。

 フランツ・リスト(Franz Liszt)のひ孫にもあたるウォルフガング氏は57年にわたってバイロイト音楽祭を取り仕切り、ワーグナー一家と音楽祭にまとわりつくナチス(Nazis)の亡霊を振り払って、世界有数の歌手や指揮者を引きつけるために尽力した。

 音楽祭の運営団体は、「ウォルフガング・ワーグナーは、人生のすべてを祖父の伝説にささげた。半世紀以上にわたりこの音楽祭の運命を握り、世界で最も長期間活動した監督として歴史に名を刻んだ」とコメントを出した。

 ウォルフガング氏は1919年8月30日、ジークフリート・ワーグナー(Siegfried Wagner、1896~1930)と英国生まれで熱烈なアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の支持者で友人でもあったヴィニフレート(Winifred Wagner、1897~1980)との間に生まれた。

 そのヒトラーも反ユダヤ主義者だったリヒャルト・ワーグナーの大ファンで、ワーグナー家や音楽祭を度々訪れていた。ウォルフガング氏やその兄弟姉妹は、ヒトラーを「ウォルフおじさん」と呼んでいた。

 第2次世界大戦の終戦から6年が経過した1951年、32歳にして兄のウィーラント(Wieland Wagner)氏とバイロイト音楽祭の運営を担うようになった。

 2人は直ちに古い設備を捨て去り、一見ミニマリズム的だが重厚な劇場を作り上げ、その劇場は「レジーテアーター(演出家主導の演劇)」と呼ばれるようになった。

 ウォルフガング氏の演出は高い評価を受けることはなく、兄の影に隠れていた。そして1966年、ウィーラント氏の死去にともない、音楽祭はウォルフガング氏1人の力に託された。

 ウォルフガング氏は自らオペラの演出をしながら、リヒャルト・ワーグナー自らのデザインに沿って建てられたバイロイト祝祭劇場(Bayreuth Festspielhaus)にほかの演出家も招待し、ワーグナー演奏の第一線としてのバイロイト音楽祭の立場を守り続けた。

■泥沼の私生活

 しかし私生活では、1976年にエレン・ドレクセル(Ellen Drexel)さんと離婚し秘書のグドルン(Gudrun)さんと結婚する際に、家族内のトラブルを引き起こした。

 離婚前、エレンさんとの娘エバ(Eva Wagner-Pasquier)さんはウォルフガング氏との仲も親密で、同氏の右腕とみられるようになっていた。しかし、離婚の際にエバさんが母親側についたため、音楽祭からも追放されることになった。

 この亀裂は非常に大きく、音楽祭の運営団体が2001年5月、ウォルフガング氏の後継者として経験豊かなエバさんを指名した際、ウォルフガング氏は公然とエバさんの才能をけなした。その代わりに、1978年に生まれたグドルンさんとの娘カタリーナ(Katharina Wagner)さんを好んだ。

 2007年にグドルンさんが死去すると、和解の道が開かれ、エバさんがカタリーナさんと共同で監督を務めることに同意した。

 2002年の舞台がウォルフガング氏が監督した最後の舞台となり、その6年後には同氏は引退。2009年にエバさんとカタリーナさんが跡を継いだ。

 ワーグナー家とナチスの関係に関する本を執筆したブリジッテ・ハーマン(Brigitte Hamann)氏は、独週刊誌シュピーゲル(Spiegel)に対し、「ワーグナー家とそのスキャンダルがなければ、バイロイト音楽祭はもっとつまらないものになっていただろう」と語っている。(c)AFP/Simon Sturdee