【2月28日 AFP】『アンネの日記』を書いたアンネ・フランク(Anne Frank、1929-45)が「真の恋人」と呼んだ少年の写真がこのほど、かつての少年の友人によってオランダ・アムステルダム(Amsterdam)の「アンネ・フランクの家(記念館)」に寄贈された。アンネ・フランク財団(Anne Frank Foundation)が25日明らかにした。

 1940年夏、アムステルダムに住んでいた11歳のアンネは、同じ学校に通う2歳年上のペーター・シフ(Peter Schiff)と出会う。ペーターの引っ越しで2人の仲は終わるが、日記には1944年1月7日に初めてペーターの名前が登場する。「わたしはバカだわ。わたしの真の恋人のことをまだあなた(=日記)に打ち明けていなかったなんて」

 日記には、2人で手をつないで歩いた思い出のほか、「理想的な男の子。背が高く、スリムで、かっこいい。まじめで物静かで、かしこそうな顔をしてる」「髪は黒くて、瞳は美しい茶色。ほおは赤らんでいて、鼻はかたちよくとがっている。笑うとちゃめっ気があって、うっとりするような笑顔」などとつづられている。

 ペーターの写真を持ち込んだのは、ペーターの親友だったエルンスト・ミヒャエリス(Ernst Michaelis、81)さん。ナチス(Nazi)・ドイツの迫害を逃れて英国に疎開するミヒャエリスさんに、ペーターが友情の証しとして渡した写真で、「君の友人ペーター・シフ」のサインと1939年の日付が入っている。

 ペーターはのちに、アウシュヴィッツ(Auschwitz)強制収容所に送還され、そこで死亡している。

 アンネの一家は1933年、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を逃れるためにアムステルダムに移住。その後ナチスがオランダに侵攻しユダヤ人狩りを始めたため、1942年7月から父オットー(Otto)の事務所の上で隠れ家生活を始めた。しかし1944年には密告により逮捕され、アンネはアウシュヴィッツに送られた。のちにベルゲン・ベルゼン(Bergen-Belsen)強制収容所へ移送され、1945年、チフスにより15年の生涯を閉じた。

 「アンネの日記」は、これまで67か国語に翻訳されている。(c)AFP