【シドニー/オーストラリア 18日 AFP】シドニーのハーバー・ブリッジ(Harbour Bridge)開通75周年を祝した記念行事が18日開催され、多数のオーストラリア人が橋に押し寄せた。1932年3月19日に開通したハーバー・ブリッジは全長503メートルで、当時としては最大級。いまやシドニーの代名詞的存在となり、世界中から多くの観光客が訪れている。
■「シドニーの伝説」、ハーバーブリッジ
記念行事のはじめに公式式典が執り行われ、式典に臨んだニューサウスウェールズ(New South Wales)州のMarie Bashir総督はハーバー・ブリッジを「シドニーの伝説」と称した。同氏は「ほかの多くの橋も伝説や物語、そして誇りを与えてくれるが、ハーバー・ブリッジはわれわれが夢見た橋だ。国民の資金を費やして建造したこの橋は、われわれに100倍の力と多大なる恩恵を与えてくれた。時代遅れになることも古くなることもなく、いつの時代にも誇れる橋だ」と語っている。
テープカットでは元兵士が乱入する一幕も見られたが、無事テープカットを終えたBashir総督は「歴史に刻まれる素晴らしいひとときだった」と語った。
同日開催される75周年記念ウォークへは20万人の参加が見込まれている。
■建設時の犠牲者を追悼
Bashir総督は「過ちを正すことも大切」と述べる。今回の公式式典ではハーバー・ブリッジの建設中に命を落とした16人の作業員をしのぶ記念銘板の除幕式が執り行われたが、1932年の開通記念式典では、彼らについてまったく言及されていなかった。
同総督はAFPに対し「重要なのは亡くなった作業員についての記憶を持ち続けることだ。オーストラリアはそういった美徳を大切にする国だ」と語っている。
■オーストラリアを助けた橋の建設
ハーバー・ブリッジは工学技術上すぐれた建造物だが、その経済効果も見逃すことができない。7年におよぶ建設期間中、不況に見舞われていたオーストラリアにおいて雇用を創出した。このことによってハーバー・ブリッジには「鉄の肺」というニックネームがつけられた。
マルコム・ターンブル(Malcolm Turnbull)環境相は「ハーバー・ブリッジは改造不可能な国家遺産」と述べ、「この橋は逆境に見舞われた国家における力の象徴」と語った。同氏は「オーストラリアの暗黒時代に橋は完成した。第一次世界大戦(First World War)では多数の死傷者を出し、世界大恐慌(Great Depression)により経済は打ちのめされた。そのような状況下で、重要都市の中心部他に類を見ない巨大な橋の建造を進めることは、自信を失った国家に対するカンフル剤のようなものだった」と語る。
■市民の声
1932年、二分されていたシドニーをついに結ぶハーバー・ブリッジが完成し、ほとんどのシドニー市民がこの橋を渡った。
Australian Associated Press(AAP)の取材に対しBruce Bobbingtonさん(79)は、「今でもあの人込みが目に浮かぶ。当時味わった高揚感も忘れられない。大々的に宣伝され、大人は皆橋の話題でもちきりだった」と語った。
Ross Selvageさん(74)は「ハーバー・ブリッジがないシドニーなど想像できない」と語り、18日の記念式典が円滑に進行したことについて関連当局を称えた。妻のGlendaさんも「感動で涙が出た。大変美しい光景だ。ハーバー・ブリッジとオペラハウスこそシドニーの象徴」と語った。
写真は同日、ハーバー・ブリッジの下を通過するレース中のボート。(c)AFP/Anoek/DE GROOT
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